敏雄さんと健次郎叔父さん 同じ歳のいとこ同士 |
昔のバッパさんと誠一郎叔父 後に二人とも満州に渡ります |
蓄音機に耳を傾ける父とその友人 おそらく結婚前の父だろう。代用教員時代だろうか。豊田君仙子さんが校長をしていた小高金房小学校? |
独身クラブ? 代用教員時代だろうか? |
緑の野原に遊ぶ幸福そうな一家 昭和13<1938)年ごろ、そのころ両親が教師をしていた芽室町であろうか。すると私はこの世に全く存在していないときのものである。 |
生後50日目のパパ 生まれたときからギョロ目。何に対して目を剥いている? |
家族を待ちわびて 単身赴任時代の父。たぶん家族の来満まじかで夜具の整理でもしているのでしょうか。 |
昭和15(1940)1月、帯広 帯広なのか、あるいは母が教員をしていた芽室なのか不明。それにしてもバッパさんが賢母に見える。こんな時代もあったんだろう。 |
北京北海公園で父 おそらく1940年ごろ、父が単身中国に渡ったときの写真か。 |
仲良し(?)三人組 仕事が終わってから飲むようなこともあったでしょう。 |
幼い兄と姉 もう私も生まれてたはずだけど…ところで満州渡航のことは、いつごろから両親の頭に芽生えたのであろうか。 |
三人きょうだい おそらくこれは昭和15年、帯広で撮った写真だろう。翌年一家は旧満州に移住することとなる。 |
ランペイの古代長城 今年<2005年)の大連・撫順旅行では行けなかったが、穎美の里帰りに合わせて、ぜひ一度はランペイを訪ねたい。確か町はずれに鉄道が通っていたはず。興味のある方は「富士貞房作品集」の「ピカレスク自叙伝」をお読みいただきたい。 |
昭和16(1941)年4月3日 5月に満州に渡るので、一族の別れを記念しての撮影のはずだが、一歳八ヶ月の私はどこに?あまりにうるさくて外されたか?場所は帯広市。祖父母と叔父叔母たちと私の家族。 |
渡満前、博多にて 昭和16年5月、旧満州に渡る直前の写真。相次いで渡る母方の叔父夫婦、博多航空隊にいた叔父、九州帝大在学中の敏雄さんと一緒の記念撮影。 |