家族アルバム
 
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巨木の下で
どういうわけか上司には可愛がられた父だが、バッパさんによれば中国人の友人にとりわけ慕われていたそうだ。
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同僚と談笑する父
役所の玄関先で。仕事の大半は辺鄙な集落を回ることだったと思うが、私の記憶の中の父はすでに病を得て病床に臥す姿である。
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役所の前で
父が生きていたら今年95歳、どんなお爺さんになっていたやら。
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裸山をバックに
まだ病魔は巣食っていなかったのでしょうか?
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父・稔
満州国官吏の末端で、しかも僻地熱河で、五族協和のからくりを知ってどんなに無念であったことか。「日本人はみな悔い改めて出直さなければならない」というのが、最後の日々の口癖だった。軍人や軍属だけを祀るヤスクニがどれほどインチキそのものか分かるか、コイズミよ。
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官舎の前で
もしかして敏雄さんが来てからしばらく後の写真でしょうか。風邪が強い日のようです。
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何かの祝日
下級官吏でもたまには金モールで正装したのでしょうか。
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敏雄さんと一緒に
昭和16年9月、当時九州帝大で東洋史専攻に切り替えたばかりの敏雄さんが熱河まで訪ねてきた。このときのことは彼の『満州日記』(原題「熱河紀行」)に書かれている。
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古北口で
父の亡くなった翌年(1944年)の秋、遠足で行ったときの写真。母ちゃん先生の側で指を咥えているのが私。後方にあるのは、もちろん万里の長城である。
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ランペイ神社の秋祭り
昭和19(1944)年11月、記憶力が無い私としては珍しく、神輿をかついだときの感触、背が小さいのでただただ振り回されたという苦しさを覚えている。ちなみに私は、右端で饅頭を手に持ってる子である。
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兄の頭に手を置く父
場所はどこだろう。バッパさんの話だと蒙古らしい。
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昭和20年春(?)、承徳にて
いままでてっきり引き揚げの途中、承徳の寺に寄ったと思っていたが、当時そんな余裕など無かったはず。とするとこれは20年春のことではなかったか。そのとき東本願寺別院に父の遺骨を預けた。文革時に処分されたと聞いたが、父は中国の土になること自体は本望と思っているに違いない。
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明ちゃんの家族と瀋陽で
承徳で父の遺骨を預けたあと、当時瀋陽の鉄西地区の大同製薬に勤めていた母方の祖母の妹の連れ合いの家に寄った時の写真と思う。本当は右半分に母と兄と姉がいたはずだが、何者の仕業か半分ちょん切られている。明ちゃんの消息は途絶えている。元気でいて欲しいと切に願う。
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東山千栄子さんですか?
あらまあ、ふっくらとした赤ちゃんですこと。ママはパパの父稔がランペイで死ぬ十日前(昭和18<1943>年12月)、遠い福島市で生まれました。この写真は昭和19年3月のものです。
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昭和19(1944)年8月。
大人びた顔をした赤ちゃんだこと。
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昭和19(1944)年10月
あらあら、偉そうな顔をした赤ちゃんでんな。
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パパは小学一年生
1946年5月に旧満州から引き揚げてきて、途中から帯広市立柏小学校に入りました。担任は同姓の若い先生でしたが、この給料では食っていけない、とトラックの運転手になって学校を去っていきました。でも写真の先生がその佐々木先生かどうか、もう記憶が定かではありません。ちなみに私は後列向かって左から2番目の、顔半分が隠れている子です。
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帯広カトリック教会
ドイツ、フルダ管区(?)のG神父と信者たち。すっかり記憶から消えていた思い出。
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小4の遠足
担任は和田先生、チョーク投げの名手。騒いでいる生徒の頭に百発百中。パパは前列左から3番目、肩を組んで遠くを見てる子。
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和田クラスの野球部
初めはピッチャーだったけれど、すぐ実力派の友人に取って代わられ、一塁手になったと思う。
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松島への修学旅行
原町小学校六年、担任水谷先生。季節は秋か。さてパパはどこに?生徒の最後の列の左から8番目がそうかな。
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仲良し5人組
小六の時。あのころはまるで犬ころのように毎日遊びまわっていた。いちばん後ろは中村君(現フランス語教授)、真ん中は管野君(経営コンサルタント)、猫を抱いているのは遠藤君(建設会社常務取締)、いちばん下は桜井君(現原町市助役)。場所はお父さんが駅長だった中村君の家。
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初めての東京見物
H叔父に連れられての東京見物。市谷のGHQ前を通ったとき、偶然にもマッカーサー元帥と出くわした。
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原小、水谷先生クラス卒業記念写真
今は亡き横村君の懐かしい顔が見えます。ちなみにパパは真ん中の列の左から3番目の果敢ない顔の子です。
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福島市第一幼稚園桃組
昭和24(1949)年11月17日。ママは前から2列目の左から6番目ですよ。この頃パパは北海道帯広市立柏小学校四年生。

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