恥多き高校時代 駅前の我が家のすぐ前を汽車通学の高校生たちが登校するのを、何故だか息をひそめて見送っていた記憶がある。 |
ポカポカ春の日 まだ周りには一軒も家がありません。教会と幼稚園が全部見えました。 |
昭和34年原中同級会 昭和29年度の卒業だから、このとき私は大学一年生。管野精先生もまだお元気だった。 |
美子と戦利品 中高を通じて、ママは英語弁論大会荒らし(?)だったとさ。東北六県は言うに及ばず、三笠宮杯など全国大会でも名を馳せたとさ、めでたしめでたし。 |
1959年クリスマスで 洗礼を受けました。霊名マリア・ベルナデッタ。シスター大溝と代母さんと。 |
高一英語劇「ヴェニスの商人」 ポーシャ役で頑張りました。 |
着慣れぬ背広姿で 初台の学生寮には、さまざまな大学に通う学生たちがいて、カナダ人修道士の舎監を時に困らせながらも青春を謳歌していた。そんな面倒を引き受けていた修道士たちに感謝したい。 |
糠平温泉で 大学4年の夏、生まれ故郷帯広に行き、小学校時代からの友人S君とテントを担いでキャンプに。川べりで熊の襲来を恐れながら朝を迎え、霧の中を彷徨ってやっとたどり着いた宿屋でのビールのおいしかったこと。S君は後、超高名な国際関係学の教授となる。 |
大学図書館前で といって本を借り出した覚えも無いが… |
大学の友人たちと スペイン語の授業でひたすら「メカニカメンテ(機械的に答えろ)!」とハッパをかけられ、いいかげんウンザリ。 |
初台学生寮寮生一同 大学2年から2年間お世話になった。4年のとき上智の学生寮に移った。 |
真面目さを絵に描いたような といって熱心に勉学に励んだというわけでもなかったが… |
教会付属(?)学生寮 教会の二階部分が学生寮になっており、いろんな大学に通う学生たちが住んでいた。 |
原町での夏休み 今の家が出来てからすぐの夏休みか。大学2年生。 |
初台のR会経営の学生寮で 昭和34(1959)年10月。大学2年生。時おり悪友たちと深夜、門扉を越えて遊びに行ったたこともある。 |
こんな時代もありました 広島のI会修練院で |
修練時代 その二 バッパさんが訪ねてきました |
修練時代 その三 後方は第三修練院 |
名瀬に敏雄さんを訪ねて 昭和41年の夏、Mさんちの悪ガキ連れて |
大学一年生 教科書を大事そうに抱えているので新入生でしょう。 |
学園祭での英語劇で主役 一度は演劇に進みたいとまで思った時期があったそうだ。良かった良かった「転落の詩集」を書かなくて。 |
藤枝の小川国夫さんを訪ねて たしか三宅島から熱海経由でお邪魔しました。 |
福島、水神の家の庭で 左側には桃畑が広がっていました。 |
今日も真面目に 修道会を出て、さてこれからどう生活を立て直して行くか。 |
お出かけ 家のすぐ横には大きな川がありました。さて何川でしたっけ? |