だからこの二人の距離はその最初の出会いから最後(この地上での、という意味でだが)まで不動であったはずだ。留守宅に上がり込んでいた彼は、最初の瞬間から小川国夫の魂のいちばん柔らかな部分に、押しつけがましさなどみじんもなく、いとも自然に座っていた。ということは、小川国夫もまた同質の魂の力学に生きているということだ。小川国夫が、二人は「同じような精神の気象(クリマ)に生きていた」と書いているのもこの辺の事情を指している。 それにしても、この二人の文学者の出会いと交流が、戦後文学史の中でも稀(まれ)に見る精神的ボルテージの高い清廉のそれであったかを、痛切に感じさせる回想集である。
「現実の直接的反映を私が構築した世界の中へ持ちこまないことを、殆ど絶対的な原則としている」埴谷さんの作品には、もちろん相馬が直接描かれたことはない。しかし、学生時代に何回か訪れたはずだし、父祖の地として、埴谷さんの意識の中には、相馬が生き続けていたはずだ。 だからこそ、今、こうして埴谷さんはご先祖の墓の前に立っておられるわけだ。 周囲は薄暗いが、それだけいかにも墓地らしいふんいきがあたりをつつんでいる。幽玄といっていいのか、幽絶といっていいのか、霊魂の安息の場所として、申し分のない場所である。台座は雑草におおわれ、墓石はこけむしているが、なかなか堂々とした墓である。あたりは寂として声なく、ただぼくたちのは息だけがわずかに周囲に生気を与える。死者は、いかにもつつましく世をしりぞいて生者の世界に干渉せず、時たまこうして訪れる生者に対しては、静かに胸のうちに語りかけるのである。死者はぼくたちがかれらを見捨てたようにぼくたちを見捨てたのではなく、求めるものにはいつも対話のチャンスを与えてくれることを、そのときぼくたちはさとるのだ。 ある浪漫派の詩人は「死者たちのいかばかり孤独なことよ」と、ぼくたち生者の心意気を示してくれたが、しかし混沌とした現代社会に疲弊しきったぼくたちに対して、案外同じことばを死者たちの方でつぶやいているのかもしれない。「いかばかり生者の孤独なことよ」と。 「死んだものはもう帰ってこない。生きてるものは生きていることしか語らない。」 これは「永久革命者の悲哀」全編を流れる無気味なリフレインだが、ぼくたち現代人にどこか欠けているところがあるとすれば、それはただ生の側のみに目を向けて、そこにしがみつき、生のあちら側の声を聞こうともしない倣岸さにちがいない。 ぼくたちは墓の周囲を少し鎌で払ったのち、Tさんの庭からいただいてきた花をたむけた。一瞬の沈黙。それぞれ何を念じたのだろうか。それは神のみぞ知る。つねづね埴谷さんは、ぼくは宗教に縁がない男だ、あったとしても般若教ぐらいなものだ、といくらか冗談まじりに言っておられるが、埴谷さんの一読者たるぼくの目にはそううつらないのだ。こんなことを言うと、おそらく埴谷さんは苦い顔をされるかもしれないが、埴谷さんは埴谷さんなりに神を志向しているのである。それは作品を読んでみれば歴然としている。神ということばが唐突なら、絶対者、絶対なるもの、どう言いかえてもかまわない。そんなことを言うなら、無神論者なんて存在しないではないか、それこそ我田引水もはなはだしいと反論されるかもわからない。いや、存在しないのである。有神論者を自認している人の中でもそれは理論だけで実際には無神論者がいるように、無神論者を自認している人の中に、理論的にはそうでありながら実際には有神論者がいるものだ。いやもっと正確に言うなら、根っからの(つまり理論面でも実際面でも)有神論者も無神論者もいないわけだ。人間はこれら二つの極をゆれ動く複雑な存在である。どちらかのレッテルをはって、それで安心できるほど簡単なことではないのだ。なにによらず、人問を軽々しく腑分けする悪しき合理主義からぼくたちは解放されなければならない。 埴谷雄高が、日本におけるもっともドストエフスキイ的作家であることは、あまりに有名だが、ぼくはここに、ほんとうの意味での影響という現象を見ているのだ。ぼくたちがふつう呼びなれている影響は、多くの場合猿まねにすぎない。 およそ、ある人の思想というものが、別のある人に影響するという場合、おそらく、それを受ける側には全実存が震憾させられるほどの激しいショックがあるはずなのだ。たとえば次のような文章がある。 「ところで、青年期に踏みこんだ私は、それから数年間、ドストエフスキイのみならず、文学作品からまったく隔離されているところの一種はげしい渦動の時代(左翼運動、獄中生活などを指すらしい)を経たが、その数年問を経たのちの私がふたたびドストエフスキイを読んだとき、私は、いってみれば、青年も壮年も老年も巧妙にひっくるめてみごとに組み台わせたところの驚くべき巨大な論理に直面した。おそらく、ドストエフスキイのうむを言わせぬ根強い影響が私の上に及ばされたのはこの時朗からといってもよいのであろうが、『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』は確かに私の魂の奥底を震撼して、その中のシガーレフ理論やキリーロフ理論や『大審問官』の章は何度読み返してもそのたびにこと新しく私の精神を熱く焼きたてるところの灼熱の鉄板と化してしまったかのごとき感があった。」(「ドストエフスキイと私」) 今度の旅の一夜、埴谷さんは土地の同人誌の人たちに一場の話をなさったが、そのときも例の『大審問官』のことにふれた。いわば権カの、悪の権化ともいうべき大審問官へのキリストの無言の接吻の重さについてである。善と悪の均衡が、このなにげないキリストの接吻によって保たれていることを。つまりぼくが言いたいのは、ドストエフスキイに根底から震憾され、影響された埴谷さんに、このキリストとの対決は避けられない課題、おそらくは唯一の課題、にちがいないということである。 埴谷雄高は、いまだキリストの接吻の重みについて多くを語らない。しかし、とあえて言うのだが、存在と非存在、現実と架空、光と闇、善と悪の、無限にわたる巨大なはかりの、そのバランスがとれるのは、ひとえにこの一瞬の接吻にかかっていると思うのだが。埴谷文学に以上のような緊迫した、闇に書かれた光の弁証法が成り立つとき、そこに真の意味での永久革命者埴谷雄高が登場するはずだ。 『死霊』の作家が死霊をたずねる、という思いがけない光景に立ちあったぼくは、高嶺なる埴谷文学登攀の最初の足がかりをつかんだように思ったが、墓所に眠る死霊たちとの玄妙な対話をものした作家埴谷雄高はさらに高みへと昇る小径をみつけたにちがいない。 墓所はますます闇を濃くしてきた。おそらく、墓地の外の生者の世界にも夕闇が訪れたのであろう。ぼくたちはふたたび墓の前に黙祷してから、寡黙な般若家の死霊たちに別れをつげた。