大連紀行

2005/06/21(火)晴れ
 仙台空港から大連に飛ぶことが出来て、今度の中国行きがずっと楽になった。成田回りだと、出発前にすでにグロッキーだったろう。
 9時過ぎにクッキーをT動物病院に預け、一度家に戻ってタクシーに10時半に乗り込んだ時点から今度の旅は始まった。いつもそうだが、旅に出るということは、単に物理的・身体的なエネルギーばかりでなく、精神的にもとてつもないエネルギーを必要とする難事業に思える。だが幸か不幸か容赦なく出発の時が近づき、否応ない対応が迫られる。
 11時45分、定刻より5分遅れで館腰駅着。無人改札を急いで出ると、今しも空港行きバス(リムジンだったか?)が出るところ。時間通りの運行は結構だが、電車に遅れが出たときぐらい待ってることはできないのだろうか。
 仙台空港に来るのは初めてだが、羽田や成田のあの雑踏はなく、構内も閑散としていて、家内の後ろのキングサイズのベッド(?)では、どこかのおじさんが爆睡していた。地方空港らしく、なかなかよろしい。
機中にて
 飛行機は中国国際航空の924便。大連・仙台間のみと思っていたが、北京までの飛行らしい。カウンター前の待合所が余りに閑散としていたので、乗客まばらの心細い旅になると思いきや、出発時間が近づくにつれ満席になった。以前アエロフロートに乗ったときもそう感じたが、スチュワーデスが日本のそれのように変に気取っておらず、かつてのバスガイドなみに実務的なのがいい。現在の日本の文化は過剰なラッピング文化に思えてならない。これは本土に上陸してからなおいっそうその思いを深くした発見の一つである。
夜の街へ
 現地時間午後5時40分大連着。あとから分かったことだが7月1日から税関チェックが少し厳しくなるそうだが、今回の出国・入国とも荷物検査などが実に簡単で、こちらがテロリストや密輸業者でないかぎり本来移動はこうあってほしいとつくづく思う。
 さて毎晩のように電話では話してはきたが、穎美に会うのは初めてである。入国ロビーの迎えの人混みのなかに大きな花束を抱えた穎美がいた。あのにこやかな穎美(日本名の穎美は笑みと同じ発音)の笑顔は、以後、行を共にしたあいだ一瞬たりとも翳ることはなかった。自分たちの身内自慢と思われるかも知れないが、家内はそれ以後彼女を「私の天使」と呼ぶようになった。夫の両親だからとか外国人だからとかにはいっさい関係なく、彼女の優しさは天来のものであり、大げさでなく彼女に会えたことが私たち夫婦にとってどれだけ大きな恵であったか、あらゆる場面・瞬間に実感させられた五日間であった。
 
 宿泊先は有名な中山広場に面した大連賓館(旧ヤマトホテル)。建てられたのは確か1909年。もちろん内部は現代風に修築されてはいるが、ルネッサンス様式の実に風格のある建物である。「日本人が建てた」という表現には恥かしい裏があり、それを聞くたびに複雑な思いがよぎる。遼寧省、吉林省、黒龍江省、内蒙古などいわゆる旧満州は、ある年代から上の人にはいまだに亡霊が彷徨っている土地なのか。実は一階ロビーでエレベーターを待っていたとき、70代の日本人らしき二人連れの男の一方が、他方に向かって確かに「隊長!」と呼んだのだ。青春の地を再訪する権利をだれも彼らから奪うことはできないが、「隊長」はないだろう。彼らの泊まった部屋で、夜半、亡霊たちが彼らの安眠を妨げてほしい、と一瞬思った。
夜の街で
  市内いたるところにある「広場」の一つ中山広場は夜になっても市民たちが三々五々集まって、踊ったり歌ったり、足先で羽根を蹴り上げる遊びなど、実に楽しそうに夜の時間を楽しんでいる。これが「お祭り」ならいざ知らず、平日の夜なのだ。今度の旅でいつも感じていたのは、かつて旅したスペインとの親近性である。「生活を楽しむ」ことが実にうまいのだ。もちろんこの屈託の無さは、別面、うるささ、乱暴さに地続きではあるが、しかし自分が萎縮するだけでなく他人をも意地悪く値踏みする「マナー」などどれほどの意味があるだろうか。
 
 広場はロータリーになっていて、周囲をもうスピードで車が走り、その車を避けながらの横断は正直命懸けであり、事故が無いのか心配だ。しかし人びとはまるで闘牛士のように敏捷な身のこなしで危険を避けている。いずれ交通規則が厳しく遵守される時代が来るであろうが、しかし統計的な数字は用意していないが、規則が厳しくなったからといって事故が減るものでもあるまい。つまり自己防衛の本能が退化していけば、元も子も無いわけだ。青信号だからといってまるで守護の天使に守られているかのように、周囲にまったく注意を払わずに道を渡る日本人とつい比較したくもなる。それに「人間的な」運転に代わって「企業的・機械的」な運転が登場したら、この間のJR福知山線の事故のように、「正確さ・利潤追求型」の運転が信じられないような大事故を招くこともある。
ホテルでのゆったりとした親子の語らい
  写真の日付は22日になっているが、1時間の時差があるから、まだ21日だったはず。夕食を近くの食堂でとったあと(確かラーメンといくつか小皿の一品料理、それに青島ビール)、ホテルに戻って改めて親子のご対面。でも初めて会った気がしない。毎晩電話で話し合ってきたこともあるが、彼女と私たち夫婦のフィーリングが初めからぴったり合っていたせいだろう。

 彼女が用意していたサクランボ(アメリカン・チェリーと色は似ているが、味は日本のそれに近い)とライチを食べながら、お茶を飲んだ。妻にぴったり付き添い、頻繁に便所に立つ妻を(放っておくと廊下の方のドアを開けてしまう)その度に嫌な顔一つせずに甲斐甲斐しく世話をする穎美を見てると、ほんと妻などは彼女を目の前にしながら不覚の涙を流すほどであった。どうしてこんな優しい子が生まれたんだろう?それが以後妻の大疑問となった。しつけ?教育?そのいずれでもなく、あいまいな表現だが天来の素質としか表現のしようがない。その彼女が、遼寧省でもとびきり辺鄙な山奥に生を享けたと二日後に知るに及んで、妻の疑問は大疑問から超大疑問へと変わっていく。
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