大連紀行

2005/06/22(水) 晴れ
  朝食はホテル近くの食堂で。穎美に聞いて確かめれば良かったが、こうした食堂を何て呼ぶのだろう。市民が出勤途中、おかゆやサラダや饅頭やらを食べる場所のことである。日本では「健康食品」やら「自然食品」やらが専門店で馬鹿高い値段で売られているが、ここでは玄米やらアワやらの、まさに自然食品が馬鹿安い値段で食べられるというわけだ。ちょっと面白いと思ったのは、スペインのチューロ(churro)に似た細長い揚げパンである。もしかしてチューロは中国からスペインに渡っていったものではなかろうか。

 名前やら値段やらをメモしてこればよかったが、穎美に聞けばすぐ分かることだから、と素通りしてきた。ともあれ今回の旅は、金銭的なことはいっさい穎美任せであったので、外国旅行のあのわずらわしさから全面開放された実に気楽な旅となった。

 さて今日最初の訪問先は、海に面した「星海広場」である。タクシーで行ったが、どの車もかなりのスピードで他の車や、横断歩道でもないのに堂々と道を横切る人間たちを避けながらの運転だから、相当の技術を必要とする。思い返してみれば、かつての日本も車と人間が危険すれすれに密着していた時代があった。かなり前のことになるが何気なく点けたテレビ画面で吉永小百合の『キューポラのある街』を放送していたが、川っぷちの道をオート三輪車が相当なスピードで人ごみを縫って走る場面を見てびっくりした覚えがある。

 陽光の目映い星海広場を歩きながら、ポルトガルはリスボンの広場を思い出した。おそらく排気ガスによる大気汚染が深刻化してるだろう市中を抜けてここまで来ると、さすがに気持ちのいい風が吹き抜けていく。
穎美の脚の怪我
 後から写真を見て、迂闊にもこのときすでに足が痛み始めていたことを、穎美の膝の血の滲んだ包帯で知ることになる。実は前夜の街歩きの途中、段差のあるところで穎美が転んだのである。妻と腕を組んでいなかったなら(つまり無意識裡に妻をかばおうとしなければ)あれほど膝を強打しなかったと思うが、心配させまいとしてか、大丈夫大丈夫と言っていた。彼女の脚が紫色に腫れていることを知ったのは、彼女の実家に行ってからである。

 私たちが日本に帰ってきた日、初めて病院で診てもらったそうだが、幸い骨に異常は無く湿布薬を処方されたとか。
噴水の前の二人
 公園の中の平地に、たくさんの人の足型が残されたレリーフがあった。穎美からその謂れを説明されたが忘れてしまった。しかし中にちょっと変形した足型が強烈な記憶として残った。纏足の人のそれであった。この奇妙な風習を、今の中国人でさえ忘れ始めているであろうが、もう一つの悪習アヘン吸引とともに、近代中国の暗黒面を示していて、人間という存在の奇妙さ、不思議さを思い知らされる。
飛び立つ鳩
 大連の鳩は日本のそれとちょっと違うように思われる。目が少し赤みを帯びているせいか。餌をねだって寄ってくるのが面白く、穎美が買ってきた餌を与えてしばし楽しんだ。机の脚と飛行機以外なら何でも食べると言われて有名なのは南の方の中国人なのだろうか。注意して見ても、べつだん大連人は鳩をおいしそうには見ていなかった。
現れ出る民族性
 日本人と中国人、体格や顔つきもほとんど同じで見分けがつかないが、歩きはじめるとやはりどこか違う。長年染み付いた民族性が動きの中に出てくるのだろうか。日本人は個としてはどこか頼りなげで、歩き方もちまちましているが、中国人は、表現は穏当でないかも知れないが、身体にハンディキャップを持っている人も(ブスも)、日本では人目を避けようとするのが一般なのに、実に堂々と自己主張をしているようで気持ちがいい。
タクシーの中の会話
 星海広場から次に向かったのは、さてどこだったろう。穎美が「山に行ってみましょう」と言ったから、そしてタクシーは事実山に登っていったのではあるが、それがどちらの方角で何という山か分からずじまいだった。いや、名前なんてどうでもいいことで、何回か写真で見ていた通りの絶景が車窓から次々と飛び込んできて、名前を聞く暇など無かった。
 しかし実を言えば、窓外の景色より車中で穎美が運転手と交わす会話の方がはるかに面白かったのである。もちろん中国語はチンプンカンプンである。しかし日本人以上に(?)しとやかで物静かな穎美が、おじさん運転手たちといつも堂々と渡り合っていることにほとほと感心していた。13歳の時から中学校の寄宿舎で寂しさをこらえながら成長した彼女だからこそのたくましさだろうか。たしかにそれもあるが、中国社会そのものの中で、若い女性も男性と対等に渡り合う下地がまずあるということだろう。感心するのは、女性の強さだけでない。おじさんたちもそうした若い女性の問いかけや注文に対等に、そして誠実に応じているということである。
 もしこちらが言葉も分からぬ外国人だけだとしたら、中国のタクシーはなんて乱暴で、注意しないと法外な料金を吹っかけられる、などといった感想を抱いたまま旅を終えるかも知れない。でも穎美との会話を聞いていると(何度でも言うが内容は分からぬ)ドライバーたちが仕事に誇りを持ち、客との会話を楽しんでいることが良く分かる。どこかの知事が好んで口にする「民度」などというものは、実は文化の違いであって、だからこそ外目で善し悪しなど絶対に判断できるものではないのだ。
金持ちたちの城
 いまや大連に限らずいたるところの大都市で建築ラッシュが続いているのはよく分かる。つまり現在の中国経済の巨大な発展の中でそれこそ濡れ手に粟式に金儲けをしている階級(?)がいるのは間違いないからである。経済そのものに暗いので詳しいことはわからぬが、表向きは社会主義体制の中での、いわば経済特区とも言うべき階級にとって、もしかすると丸ごと資本主義体制のなかでより濡れ手のその濡れ具合はさらに快適かも知れない。今日も各地で発展から取り残された人たちの反乱が報じられている。どちらにしても、貧しい人が割を食う事態が一日も早く沈静化してもらいたいものだ。
パンダよ今度来たとき会おうぜ
 確かこの写真の背後にあるのが自然動物園ではなっかたろうか。石の像が何という動物だったか(もしかして架空の?)、忘れてしまった。穎美は水族館にも行ってみようか、と言ってくれたが、家内も私も、名所旧跡めぐりよりこうして穎美といっしょにいること自体が楽しいので、感じのいいタクシー運転手の説明(もちろん穎美の通訳入りで)を聞きながら車で回るだけで満足していた。
昨日の歓迎の花束
 観光めぐりの最後においしいワンタン(だったと思う)を食べ、三時ころホテルに戻った。今夕、穎美が現在世話になっている妹夫婦とその両親との会食までゆっくり休むことにした。そのとき昨日空港でまるで有名映画女優のように晴れがましく家内が穎美から貰った花束を抱いて改めて記念撮影をした。しかしあのあと、この見事な花束はいったいどこにいってしまったのだろう。捨てられずにホテルのどこかに飾られたのなら嬉しいのだが。
中国式の食べ方
 穎美の妹のご主人(自動車修理工)は、仕事からどうしても抜け出せないというので、代わりに彼の妹夫婦が急遽参加して総勢8人の楽しい宴となった。隣に坐ったお父さんはにこやかに話しかけてくださるのだが、残念!、私の方はからっきし中国語が分からない。それでも穎美が側にいるときは即座に通訳してくれるが、料理選びに中座でもすると、なんとも困った事態になる。お父さんはめげずに動作入りで話しかけてくださるのに。次回はなんとしてでも片言でも話せるようにしたいものだ。
 中国料理といえば、量も油も半端じゃないというイメージがあったが、大きなお皿でそれぞれが手を伸ばして、いろんな料理を箸から直接口に運ぶ食べ方は、なるほど実に合理的である。それぞれの前にその人だけのために並べられる料理を食べ残しがないよう気を使いながら食べる日本式よりはるかに食事が楽しめる。
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