大連紀行

2005/06/23(木) 瀋陽北駅行き
 穎美が座席指定券を買っておいてくれた電車は、大連駅を8時に出る。ホテルから駅まではさして遠くない距離らしいが、タクシーで行く。穎美はツアーコンダクターとしても立派にやっていけるのではないか。ともかくこちらは彼女の適切な指示に従うだけであるから、楽なことこの上ない。明後日また同じホテルに帰ってくるので、大きなバッグは預けていくことにしたので、更に身軽になった。
 電車は定刻発車(?)だったと思う。これから内陸部への楽しい旅の始まりである。穎美は毎年、一度春節に帰省するだけだったのに、パパたちとまた帰れるのが嬉しいという。しかし一年に一度の帰省(最近では大連で服飾の勉強をしている弟と一緒の)でも、今回乗るような特急ではなく、朝9時に大連を出て、家に着くのは夜遅くなる便らしい。事実今年の春節のときも、家に着いたと電話があったのは夜9時ごろではなかったか。
瀋陽かつての奉天
 旧満州の裸山を予想していたが、車窓を流れる風景は、木は少ないが緑が濃い豊かな田園風景が続く。米、トウモロコシ、マメ科の植物、たぶんリンゴなどの果物畑が延々と広がる。
 途中いくつか大きな駅を過ぎ、12時近く、遼寧省の省都瀋陽に入る。旧満州時代に奉天と呼ばれていた町である。ということは、迂闊にも今これを書きながら思い出したが、物心ついたころ一度この町に来たことがあるのだ。名前まで決まっていた弟の死産のあと、病院に行く若きバッパさんと二人でこの町を訪れたはずなのだ。その当時連れ合いが製薬会社に勤めていたバッパさんの叔母の家に、私だけが何晩か預けられたはずである。
 とまれ今回はゆっくり思い出にふける余裕などなかった。朝早く山奥から私たちを迎えに来ているお父さんを探さなければならない。改札口を出たあたりで待ってるはずが見当たらない。こういうとき、ケータイは実にありがたい。もしなければ雑踏の中、出会うまで更に数時間は要していたろう。
穎美のお父さん
 写真ではすでに見ていたが、もちろん今日が初対面である。勝手な想像かも知れないが、彼は頑健で長身の満族特有の体格をしているのでは、と思う。長女の穎美を目に入れても痛くないほど可愛がって育てたであろうことが、彼の優しい男らしい表情の中に読み取れる。タクシーで家を6時半頃出た、らしい。
さてそのタクシーを運転するのは、親戚のおじさん。車は黒のフォルクスワーゲン、サンタナ。じりじりとした日差しの中で待っていたらしく、車内は相当な暑さである。動き出したらクーラーが作動するだろうという穎美の希望的観測は見事にはずれ、故障してるとのこと。2時間半以上の道中、窓を開け放したまま爆走することとなる。
全戸20軒に満たぬ村落
  たしかに現在では電気が来ている。テレビも見れるし、冷蔵庫もあるだろう。しかしそれも最近のことではなかろうか。でもまるで守護神のような大きな木の両側に広がるその部落の、なんという長閑さ。たくましい雌鶏が雛たちを従えて悠々と道を横切る。山羊が草を食んでいる。家の横ではラバ(馬と驢馬の合いの子)がゆったりと大地を蹴っている。どこかで見たような風景、たしかに一度は夢の中で見た懐かしい村の姿。
 日没が迫っているのか、あたりを黄金色の光が包み始めた。ご両親、一時帰省している穎美の弟、そして母方の若い叔父さんとの旧知の間柄のようなあったかな挨拶の交換。夕食までの時間、穎美と三人であたりを散策する。明日山を降りなければならいなんて、あまりに気忙しい日程を組んだことを今更のように後悔した。
残光の中の玉蜀黍畑
 この時期、食べれる作物がないことを、穎美の家の人たちは残念がっていたが、たしかに家の裏に広がる玉蜀黍が収穫を迎えるころにぜひまた来てみたいものだ。あとはえんどう豆、西瓜、瓜、トマトなどであろうか。
 穎美は西陽を見るのが好きと言っていたが、なるほど幼いときからこの素晴らしい夕景色を見ながら育てば、西陽が好きになるのは当然かも知れない。日本に行ってからは、父母きょうだいのいる方角として、さらに西陽を見るのが好きになるであろう。
戸籍を持つ大木
  穎美の話だと、この地方では(もしかして中国全土で?)古木や歴史的に見て重要な樹木はすべて戸籍をも持っていると言う。この村落の中央にも、そんな戸籍を持つ老樹があった。おそらくこの村落創世のときから、村人たちの喜びや悲しみすべてを見守ってきたのであろう。
山羊と家鴨のいる風景
 穎美の家の鶏たちを見ていると時間の経つのも忘れるほど面白い。雌鳥の回りで元気に遊んだり虫を追いかけたり、夕暮れが迫ると中庭の隅にある鳥小屋に帰っていく。中にどうしてもまだ遊びたいのか一羽の黒っぽい体の元気な子がいた。いつ鳥小屋のみんなの元に行くのだろうと心配だったが、私たちが散歩を終えて帰ってきた時分には姿が見えなかった。無事ご帰還遊ばしたのであろう。
村はずれで
 なんだろう、この懐かしいような、温かくそしてちょっぴり物悲しいような感情は。穎美のように都会に出、そしてさらに海外へと出る人もいれば、彼女の両親のように(同じ村落に叔母一家も住んでいることを翌朝知ることになる)一生をこの村で送る人もいる。日本人との結婚、そして日本への移住を心配する両親、とりわけ母親の気持ちが痛いほど分かる。私たち夫婦と会ったことで、その心配が消えたと穎美は言うが、心配であることに変わりは無いはずだ。翌朝早く、みんなが起き出す前に母と娘は山の方に散歩に行ったらしい。母と娘のあいだの積もり積もった話。それを知って、穎美が幸福になるために私たちはできるだけの手助けをしなければ、と思いつめたように妻がつぶやいた。
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