大連紀行

2005/06/25(土) いつもの食堂での朝食
値段を確かめなかったが、たとえば小皿に盛った漬物や佃煮のようなものは、おそらく日本円で20円くらいではなかったか。玄米や粟のおかゆと、それら小皿のおかずで、実に健康的な朝食が食べられる。
いやそんなことより、仙台行きの飛行機が11時だとすると、あまりゆっくりできないのである。本当は毎日この店で、いろんなおかずを試食したかったのだけれど、それはまた次回の楽しみに。
大連賓館前で
高い屋根の車寄せは最新式の建物にはない風格がある。結局三泊世話になったホテルの前で記念撮影。
ところで穎美がチェックアウトの手続きをしているあいだ、私たち二人は近くの椅子で休んでいたのだが、穎美がなにやら受け付け嬢に言われているようである。宿泊料金は払っているはずだが、と近寄ると、穎美がにこやかに、しかしきっぱりと、「なんでもありません、パパ心配しないで」と押し戻されてしまった。後で分かったのは、どうやらバスルームのタオルの所在のことだったらしいが、感心するのは、文字通りの濡れ衣に顔色ひとつ変えずににこやかに事情を聞き質す穎美の態度である。若い中国の女性がすべて彼女のようだとは思えないとしたら、やはりこれは穎美のもって生まれた個性なのだろうか。
空港での最後のひと時
さていよいよお別れのときである。穎美の滞留ビザがいつ交付されるのか、現時点では全く分からない。再申請といってもそれは再び最後列に並ぶことを意味し、するとさらに今から2,3ヶ月を要するのか。要するに息子たちの結婚が偽装結婚に疑われたということであるが、そうした理不尽な嫌疑をかけられたことに、激しい怒りを覚える。確かに形としては、息子は結婚手続きのために大連に2日間滞在しただけなので書類的には疑われても……しかし今さらどうにもならない。国家という非情な歯車が時おり(いや頻繁に)生み出す非合理と諦めるしかないか。今回の旅行の航空券、パスポートなどのコピー、ご両親たちとの記念写真などは、もちろん追加資料として入管に提出するつもりだが。
出国審査を受ける間も、穎美は遠くから私たちを心配そうに見守っていた。
JR館腰駅の無人プラットホームで
五日ぶりの日本は蒸し暑かった。11時に大連を発って、1時間の時差はあるが2時半にはもう仙台空港である。東京に行くよりずっと気楽な中国行き。こんなことなら頻繁に穎美の里帰りに同行して中国に行きたい。この次は穎美の実家にもう少し滞在したいし、できれば北京周りで熱河にも行ってみたい。穎美は万里の長城をまだ見たことがないそうだから、ぜひ連れて行こう。というより正確には連れて行ってもらおう。
さてここでひとまず今回の旅の記録にピリオドを打つ。しかし中国の歴史や文化への旅の記録はこれからも、というよりこれからが始まりである。数百冊の文献もそろえた。あとは一歩一歩、楽しみながら、立ち止まりながら歩いていくだけ。
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