佐々木孝 評論集

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終局へ向かう旅人
     島尾敏雄論(三)

  島尾敏雄の作品を読んで、私たちがまず感じとるのは、それらが私たちの奥深くによびおこす一種不思議な親しさの感情である。しかし、その親しさは私たちにおもねたようななれ合いの親しさとは違って、じゅうぶん節度を保ったきまじめな親しさである。かれが使うことばは、どこといって指摘することはできないが、ことばが本来持っているはずの髄のようなものを持っており、それが行間ににじみでていて、読み進むほどにいつの間にか親密なふんいきの中にいる自分を発見することになる。最初のうちは唐突に聞こえるかれのことばづかいも、なれてくると、なるほどこの気持はこういう表現でないとつかまえられないのだな、などといつとはなしに納得させられている自分を見いだす。
  『夢の中での日常』や『兆』などによって、島尾敏雄は超現実的な手法を用いる前衛的な作家と見なされた。あるいは、妖しい夢をおりなす幻覚者の列にいれられた。しかしかれは、ことばの真の意味においてリアリストなのである。私たちはかれの作品によって、「目に見える」現実の底に横たわるもうひとつの「目に見えない」現実が顕示されるのを感じる。私たちはそのとき、これは私とかかわりのない他人ごとだ、と言うのがなぜかためらわれるのである。それはかれが、幼児体験、戦時体験、死の棘の体験など、いくつかの原体験を執拗に掘りおこすことによって、それらの底にかくれていた現実の核のようなものをつかみ出すことばを発見しはじめたからである。
  文学とは、今さらことわるまでもなく、ことばによって、そしてことばをもって構築されたひとつの世界である。しかし、ことばはしょせんものではありえない。とすると、リアリスティックな描写とはどういうことなのだろう。現実をありのままに描くといってもそれが虚妄にすぎないことは、同一の文章を読んでも、各自が別々のイメージをいだくことを考えればじゅうぶんである。

 現代文学が行きづまりを見せてきたのは、従来のようなことばに対する信頼が失われてきたことに起因する。ことばが享受してきた実質的な意味と重みは、現実社会の多元化とそこから生じた不安とによって、徐々に失われてきた。空疎なことばや言いまわしが氾濫し、あるいは専門家仲間にしか通用しない単なる符号としてのことばがふえてきた。人と人とを結ぶ共通の信仰、意志の疎通を可能にする共通の地盤がなくなってきたことの、これは当然のなりゆきである。
 従来、ことばがものを説明し、定義すると信じられてきた。しかし、それは逆ではあるまいか。ことばに意味を与え、それをいわば定義するのは、実はものなのである。私たちはたくさんのものにかこまれて生きている。ものそれ自体は、しかし無言の、不気味な存在である。それで人間はものを自分の境界に入れて、それを手なずけるために名まえを与えることを覚えた。そうしてこそはじめて、人はものとつながりを持つことができたからである。しかし、私たちの時代にあっては、ことばはものとの緊密な関係をはなれ、危険なひとり歩きをはじめた。同時に、ものはさらに多様化し、私たちを脅しはじめた。
 ものが幾何級数的にふえできたといっても、人はそれらすべてとかかわりを持つことは不可能である。たとえば、交通機関や報道機関のすばらしい発達によって、世界は狭くなってきたと言われる。茶の間にすわりながら、私たちはパリで演説しているドゴール大統領をながめることができるし、アメリカのどこかで人工衛星を打ちあげる瞬間に立ち会うことも可能だ。しかし、これらはほんとうの意味での経験だろうか。私はそこで単なる傍観者にすぎないのではあるまいか。私はそこで、ものあるいは状況との切実な、膚と膚の触れ合うつながりを持っていないのである。
 文字や影像や音、あるいはにおいを媒介とする単なる体験と、私がその中でものや状況と直接触れ合い、相亘に影響し合い、抜きさしならぬ関係を結ぶところの真の経験とは、厳密に区別されなければならない。私たちは、自分と戦標的な関係を持たぬ多くのことがらにかこまれて意気阻喪しているか、あるいはあたかも自分がそれらと密接なつながりを持っているかのように錯覚して、空疎なことばをふりまいている。物質文明の繁栄に目が眩んだ現代人のあやまれる進歩主義は、経験という人間存在の貴重な財産を過小評価してしまった。

 戦争反対や世界平和が声高に叫ばれてきたが、それら激しいかけ声の渦の中で私たちがなにかしらむなしいものを感じるのは、それらの叫びがいつのまにか自分の原体験や実体験を離れた観念遊びに終わっているからである。
 文学はたしかに作家の生きている現実世界とは次元を異にする虚構の世界である。しかし、いかに非現実的な架空の世界が描かれようと、それは作家の意識という一本の糸によって現実世界と結ばれている。ちょうどはるか天空を舞うやっこだこが、細いじょうぶな一本の糸によって地上から操られるように。しかも、その非現実的な作品世界も、それなりのリアリティを持つためには、打ち消され、あるいは越えらるべき当の現実世界から、作者はそのための活力をくみ出さなければならない。以前、私は島尾文学は現実否定の文学だと書いたが、それほ単なる否定のための否定ではなく、押しつけがましく作者にのしかかってくる見かけだおしの現実を否定しているからである。
 かれは自分の小説を分類しで、「目をあけて見た周囲を書いたものと目をつぶっでそれを表現したものとの二つになる」と書いたことがあり、事実、かれの作品をリアリスティクなものとファンタスティクなものと大きく二つに分けることが可能である。しかし外界に対してなぜ目を閉ざし、目に見える世界になぜ背を向けるのかが、ここで私たちの興味をひきつけるのである。

  「島に上陸して白い道を歩いたが何も見えない。船の上から眺めたときも何も見えなかった。何も、と言ったが、洋上に位置を占める以上、島自体の存在があり、岡があり谷があり、草木が生え、珊瑚礁の泊が認められないわけはないが、でも私は何も見えないという気持をいだいた。たぶんそれは、人間臭い人工的な構造物が見えなかっただけだ。それなのに何も見えないと感じた。その日妻は紫がかった着物を着て、裾をひきずっているように見えた。着物の着付がどこかおかしく、着物を着ているというよりはきぬをまとっているぐあいだ。帯の位置が高く、腕と腰のあたりにしわがかたまった。でもそれはどこかのそういう着付を再現しているのかもわからない。私は妻の着付に不釣合を覚えながら、彼女の背景の歳月の重さを考えている。もし着物でなく、別な衣装の何か

であれば、島の風物に映え、彼女自身をも美しくしただろう。しかしその異相感には別な感情も含まれていた。彼女の装う衣装は私の皮膚にはりついてくる。」

  これは、昭和三十七年に書かれた『島へ』の書き出しの一節である。この作品にもられている内容自体、夢ともうつつともつかぬ幻想的なものだが、描かれている情景が「目に見えたまま」のそれでないことは一目瞭然である。ここに表現されているのは、意識の底にいったん沈んだ情景を、目を閉じながらまぶたの裏に浮かべたときの情景である。もちろんこの場合「目を閉じて」というのは比喩的な意味あいにおいてであり、さらに正確にいうなら、「心の目」というほどの意味においてである。つまり、作者は内界に継起する意識の波にひとみをこらすため、外界に対して心の目を閉じるのである。それは、作者がもの、あるいは世界とのよそよそしい関係を、自己の内部において親密なものとするための方法だと言ってもいいだろう。ちょうど深海の底にすむ貝が、時間をかけて内部でそれを同化するようなぐあいにである。だから、こうしてはき出されることばは、作者の内部的経験と実質的な同化作用をとげているのである。
  昭和三十一年、島尾敏雄は、移り住んだ夫人の故郷奄美大島名瀬市の教会で、カトリックの洗礼を受けた。私的体験を描きながらも、現代文学に新しい突破口を開きつつあるかれが、その信仰をかれの文学にどうかかわらせるかは、興味ある問題である。カトリツク文学ということばによって私たちがふつう連想しがちな、たとえばドグマの問題や、救霊の問題をそのテーマとした文学を、もし私たちがかれの作品に期待したとしたら、その期待はもののみごとに裏切られるだろう。そして私たちは、そのような期待はずれの瞬間が過ぎたあと、なるほど自分はないものねだりをしていたな、と合点するのである。

  島尾敬雄の作品の中に神は姿をあらわさないし、また神からの語りかけも、神への呼びかけも描かれていない。そればかりでなく、島尾文学の中に、はたして「他者」が描かれたことがあるだろうか。作者の主観を通して、いわばゆがめられた形で作者の意識に結ばれた「他者」のイメージはある。しかし、作者とはまったく異なり、同時に作者に対話を求めてくるような「他者」が描かれたことがあるだろうか。そこでは、他者は「私」の弱みにつけこみ、「私」をおびやかすものとしてあらわれ、「私」がそれらとぶつかり合うことによって、そのときだけ「私」が自分の存在をおののきながらたしかめる、そのような道具としてだけあらわれてくるのではなかろうか。たしかにこれは、島尾文学が内包する世界の挟さを意味するだろうし、島尾文学に対する非難もこの一点に集中している。しかし、地平線のせまくるしさをおぎなってなお余りある島尾文学の価値がはたしてないのであろうか。ぺルソナルな他者の姿はないかもしれない。しかし実は作者自身も、その作品の中に不在なのではあるまいか。そのもっとも顕著な例は、最近作『市壁の町なかで』である。これは、プエルト・リコの首都、サン・ファン旧市街を歩く「私」の感受を通して描かれた町の姿である。

  「足の向くままに歩道を歩くと、人かげはいっそう数をへらし、しき石は、夜空の青をうつしつづけ、酔いが、まるで町全体が巨大な船となって南海のただ中を進んでいるような気持にした。堡塁をへさきにして、左右に夜光虫の水脈をひきずりながら。」

  この作品を読みながら、私たちはまるで目に見えぬ手に導かれているかのように、この「私」と夕闇のサン・ファン旧市街を歩きはじめる。いや、「私」とではない。「私」はいつの間にか薄明のなかに消え去り、私ひとりがこの物悲しい憂愁の町なかを歩いてゆくのである。

  島尾敏雄の作品の中の「私」は、人間くさいよそおいを漂白してゆき、ついには外界、そして特に生命あるものとの接触にふるえおののく一片の薄膜に変化するのである。おそらく、島屋敏雄にとって興味があり、そして描こうとする唯一のことは、この薄膜でありこの魂のふるえである。数年前、雑誌「世紀」誌上で、池淵鈴江氏が引用した『廃址』の一節をここで思い起こすのもむだではなかろう。

 「片側は外海に眼界がひらけ、うずくまる岬、岸の岩にくだける白波、胸の中の何かがふくらみ、見当もつかない距離を落下して行って、はるか下方のその海水の量や波や砂浜にぶつかると、また胸のところまではね返ってくる。それを何回もくりかえすと、空間に震えをともなった音域が出来た。波涛のひびきか、風のつぶやきか、とらえることの出来ない音響が、においのようにからだを包んできて、視界にありながら手のとどかぬ距離感が頭をしびれさせる。」

  オルテガ・イ・ガセットは、その著『芸術の非人間化』の中で、現代の作家を、戸外の景色を見ようとして窓に接近するのではなくして、窓ガラスを、しかもそのガラスの小さなきずを、ある特定の色合いを、またその透明度のいかんを検討するためにながめる人間にたとえている。この図式を使わせてもらうなら、写実小説は窓ガラスの向こうにある外界のながめを活写し、心理小説はガラスのこちら側にいる主体の心境を描いたことになる。とすると、わが国の伝統的な私小説は、ある時はガラスのあちら側、またある時はガラスのこちら側へと、都合にまかせて行き来する主体の動きを描写したことになる。
  島尾敏雄は『わが小説』というエッセイの中で次のように書いている。

 「書く方の姿勢を言えぼ、一方の資料は意識の世界から、他方は意識下のものが夢などを通してほんのわずかのぞかせた端っこをつかまえて引出せるようなものの中から借りてくるが、それは時の経過をあいだに置けば、その区別もたしかなものではなくなってくる。私の感受の中ではお互いに感応し合って一方から他方を引きはなすことが困難になり、その度合の強いものだけが私の小説の中の真実となる。そのとき私の中で規則的にはたらくのは、単純で正確な記録を、ということだ。自分の心境に興味があるのではなく、その鍛練などを考えているのでもない。関心があるのは個人の外にはたらく基準の方にだ。」

  いささか自己韜晦気味の文章ではあるが、今まで私がのべてきた意味あいにおいてこれらのことばを解釈しなおせば、これはこれでかなり正確な方法論の展開である。目に見えた世界と目に見えない世界、現実と非現実、意識と意識下の世界、過去と現在、島尾文学の中では、これらがお互いに交錯し、感応し合っており、そこに生じたゆがみ、あるいはハレーション(光暈)がその言いつくせぬ魅力となっている。この時、「私」は双方の世界にはさまれて微妙にゆれ動き、ふるえる、一片の薄膜と化してしまうのである。古くさい私小説的なよそおいをこらしながらも、「私」小説の「私」を消去することによって島尾文学は私小説を、いわば内部から否定し踏みこえたのである。
  島尾文学の中で「他者「が正確な像を結ばないのは、ちょうど、窓ガラスに焦点を合わせていけば、その向こうにある外界がぼやけてきて、これはこれ、あれはあれ、というぐあいに区別がつかなくなってしまうのと同じことである。だが「他者」や神が不在なのではない。
なぜなら、薄膜と化した「私」がふるえおののくのは、そこに「他者」がおり、神がいるからである。そのふるえの振幅がはげしく大きければ大きいほど、他者の、そして神の実在が実感されるのである。今ここでその例証をあげるには紙面がゆるさないが、たとえば最近作の『思屑録』などその傾向が顕著である。
  かれの文体は、すなわちかれの魂の描く軌跡である、と私は以前定義したが、このまぎれもない独自の文体を確立した島尾文学の今後は、はたしてどういうものになるであろうか。短編集『日のちぢまり』(昭和四十年、新潮社)のあとがきで「目のとどくかぎり、そしてその先の先のどこまでも、書くべきどんな手がかりの高低をもとどめぬ広野に立たされているようだ」と、今かれが置かれている状況を述べている。かれは、人間実存の根本的姿勢を、終局に向かってあゆむ旅人としてとらえているが、その旅はまだ続くのである。島尾敏雄のこれからの活動を期待しながら、ひとまずこの貧しい試論の筆を置こう。

(「あけぼの」、一九六七年三月号)

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