佐々木孝 評論集

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批評の醍醐味を知る

  越智保夫というなまえを、いつどこで最初に知ったかは、はっきりしない。きっと、E・ムーニェの『人格主義』の訳者のひとりとして記憶したのが最初だと思う。その後、なにかの雑誌で、彼がすぐれたカトリックの評論家であること、『好色と花』という遺稿集(筑摩書房刊)のあることを知った。しかしそのときはすでにその本は絶版になっており古本屋でもかなりの値になっていて、私には文字どおり高値の花だった。
  なんの因果か、修道者でありながら文学づいてしまった私には、そのころからいろいろと疑問にとらわれ、困難にとりまかれていて、しきりに先達を求めていたように思う。もちろん、かなりの数のカトリック作家はいたが、信仰者と実作者との問の微妙な空間を、ことばで埋める作業に本腰を入れている人はなかなか見つからなかった。これは困難な仕事だが、だれかがぜひ手をつけなければならない領域だと思った。これは、神学者でもなく、倫理学者でもなく、いわゆる人生論作家でもなく、真の意味ですぐれた批評家の仕事だと思った。
  しかしさいわいなことに、作家の島尾敏雄氏がこの本を所蔵していることを偶然の機会に知り、今年の三月に上京した氏から借り受けることができた。爾来、その本は私の机の上にあり、ときおり手にして熟読させてもらっている。今この本についてまとまったことを書く用意も余裕もないが、一言で言うなら、この書によって批評の醍醐味を知ることができた、ということになろうか。それもはでやかな色彩でなく、大仰にかまえたところのないのに好感が持てた。それもそのはず、本書に収録された文章のほとんどが氏の四十代以後の作品であり、人生の深い洞察と思索とから生まれた珠玉の作品集なのである。文芸批評家にありがちな強引な定式化もないし、意味あり気なきどりもない。なによりも、対象に対する深く温かい愛が印象的である。特に『小林秀雄論』は、真に傑作の名に値すると思う。これから本格的に仕事という時に、氏が病魔にたおれたことは(昭和三十六年)かえすがえすも残念と言うしかない。ともあれ、氏の遺稿集『好色と花』は、私にとってこれからも良き先達となってくれることと信じている。

「あけぼの」、一九六七年九月号

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