佐々木孝 評論集

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地方からの文化発信

 前回の拙文の中で亀井文夫のことに触れたが、翌日、わずか数百メートルのところに住む詩人の若松丈太郎氏が、一九九三年の『亀井文夫の世界』という催し物の記録を届けてくださった。その年の三月から十月にかけて、亀井文夫のほぼ全作品を月一回上映したときのパンフレット、会報などのコピーである。亀井文夫死後五年の時点での、たぶんそれ以後も例をみない画期的な企画の存在をそのとき初めて知った。先見の明のある人は違うな、と改めて感服した。さっそく糊付けなどを施して私家版の『亀井文夫の世界』一巻を作り、当時の様子をいろいろ想像しながら読ませていただいている。
 地方で文化的な活動をすること、とりわけ観客や聴衆を動員することの大変さは想像に難くない。若松氏を中心に「亀井文夫の映画を見る会」の人たちのご苦労を考えると思わずため息が出る。亀井フアンが遠く県外からも駆けつけたそうだが、地元の反応は(たぶん)いまひとつだったと思う。そういうものなのだ。若松氏は総括の文章でこの催しの五つの意味を挙げ、その最後をこう締めくくっておられる。「第五には、これがもっとも大事なことかもしれないが、とにかく楽しむことができた、ということ」。
 氏のこの言葉に心からの共感を覚える。これは決して自己満足の言葉ではない。文化の火は、観客動員数とか、世間的評判とか、ともかく外発的な基準では決して計れない、その意味ではかぼそい光なのだ。しかし自らの胸の中に確実に燃え始めた文化の火は、幾本かの掌に大切に守られ、慎重に手渡されていくうち、ときに機会を得て、それこそ燎原の火のごとく燃え広がるのである(そんなことはめったに無いこともまた事実だが)。
 都会と地方、中央と周辺(辺境)ということに関しては、私自身今までスペイン文化から多くのことを教えられてきた。そのうちの一つは、辺境にあることの優位性である。つまり文化の火種は確かに中央から発せられることが多い。したがって辺境にあることは伝達のために時間がかかるという意味でマイナス要因となる。しかしそこが文化的事象の面白いところだが、ちょうど池の中央に生じた波紋が周辺に及ぶときのように、間にさまざまな変形が加えられるだけでなく、実は熟成の恵みを与えられるのである。

   たとえばセルバンテスの『ドン・キホーテ』である。十七世紀初頭のヨーロッパにおいて「騎士道小説」という中世に栄えたジャンルは完全に時代遅れのものとなっていた。セルバンテスはそれを逆手にとる。つまり騎士道小説に止めを刺す(完成させる)事によって、実は近代小説の端緒を切り開くのである。つまりヨーロッパ文化の辺境に位置することによって、かえって新時代の最先端に立ったのである。
 ここでスペイン近代と日本近代の対比をする余裕はないが、ともかく明治開国以降、日本は常に外発的な基準を追い求め、追い越そうとばかりするあまり、内発的な文化創造の力を次第に失ってきた。地方もまた、いたずらに中央に追いすがる心性を形成することに急であった。上から一億創生の声がかかると、それ村興し町興しだと横一線の徒競走。そしてその喧騒が吹き抜けていったあとの静寂、いやむしろ徒労感・無力感。
 大切なのは、地域性を生かしながらまず自らがささやかな発光体となること、そしてそれを(『亀井文夫の世界』のときのように)記録し記憶する執拗な努力だ。


『福島民報』、「サロン」
            2003年8月22日掲載
※冒頭の部分は掲載されたものと少し違います

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