佐々木孝 評論集

スペイン思想の中のサラマンカ

  時間が限られていますので、ここでは私自身がスぺインの思想 ・文化から何を学び取ってきたか、について簡単にお話したいと思います。結局それは日本の近代思想には欠落していたもの、つまり思想の風土性ということになりそうです。たとえばウナムーノの思想は風景をその半身(la otra mitad)としています。彼の思想には「高い塔の林」(alto soto de torres)と「黄金色の石」(de piedras doradas)の町サラマンカが、そしてカスティーリャの空と大地が、その光と匂いまでが感じられます。ここで言う「風景」は、ウナムーノと共に現代スぺイン思想の骨格を作り上げたオルテガの「私は私と私の環境である」(Yo soy yo y mi circunstancia)のその「環境」と言い換えてもいいと思いますが、思想に限らず広くスぺイン文化そのものが、この「環境性」を重要な構成要素にしている。換言すれば、個別姓と普遍性が共存している、決して個別性が失われることなく普遍性が求められている、あるいは肉体性が放棄されることなく精神性が追求されている。それはカール・フォスラー(KarlVossler)の「スぺイン人は天と地を同じキャンパスの上に描きたがる」 (querer dibujar el cielo y la tierra en el mismo lienzo)という言葉とも符合します。それは聖テレサの神秘思想にも、また彼女の遺作を出版したルイス・デ・レオンの作品にも言えることです。サラマンカ大学教授であったレオンの代表作 『キリストの御名について』 ("De los nombres de Cristo”)は、ラ・フレーチャ(La Flecha)の園抜きには考えられない作品です。
  ウナムーノから話は思わず黄金世紀へ遡ってしまいましたが、事実すべてのスぺイン文化の淵源が十六世紀スぺインにあります。そこにはイタリア・ルネッサンスよりもはるかに広い裾野と、さらに高く同時に探い内実を備えた文化が存在します。従来スぺインにルネッサンスはあったかとか、セルバンテスは人文主義の洗礼を受けたかとか、まるでスぺイン文化がイタリア・ルネッサンスの残照(reflejo)であるかのように語られることがありましたが、しかしそれはあまりにも謙虚に過ぎます。八世紀にも及ぶ国土回復運動を通じて、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教という三つの宗教・文化の共存と葛藤 (conflicto)を経験したスぺイン文化は、独自の、しかも強力な光源を持つ文化です。

 そしてその中核にはfilologiaとしてのhumanismoだけでなくantolopologiaとしてのhumanismo、つまりまったく新しい人間像の創造がありました。しかしその確認作業には、従来のように個別に検証するだけではなく、ピカレスク小説から神秘思想にいたるスぺイン文化全体を再検討する必要があります。もちろんルイス・ビーベスなど亡命スぺイン人も射程に入れなければなりませんが、なかでも重要なのは、「新世界問題」に根底から取り組んだビトリアを頂点とするサラマンカ学派の存在です。だいいちアリストテレスの言う先天的奴隷(esclavos innatos)説を是認するものがどうしてヒューマニズムの名に値しましょう。十六世紀スぺインを全的景観(panorama)として捉え直すとき、J.マリタン(Jacques Maritain)の言うhumanisme integralとはおそらく違った意味でのhumanismo integral hispanicoが浮き彫りになるのではないでしょうか。
日本におけるフランス・ユマニスム研究は、渡辺―夫と大江健三郎という二人の優れたユマニストを生みましたが、スぺインのウマニスモ研究も単にスぺイン研究という限られた領域にとどまらず、現代日本の精神状況と鋭く渡り合う、本当の意味での相互理解の道筋が作られるべきでしょう。その意味で、サラマンカ大学の責任は重大です。大学は、オルテガの言う 「時代の高さ」 (la altura de tiempo)に立つべきですが、サラマンカは何よりもその高遭なウマニスモによって光り輝いてきたのですから。

(1995年4月17日、国連大学におけるシンポジウムでの発言草稿)

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