佐々木孝 評論集

生の理法に立ち返れ

 昨年九月十一日、アメリカで起こった同時多発テロ事件のあと、世界は急速にきな臭い方向にむかっている。世間は(とひとまず言うしかないが)アメリカ主導のこの対テロ戦争がどこかおかしいのではと自信なげにつぶやいてはみるが、「お前はテロに賛成なのか」と反論されることを極度に恐れて、そもそもの発端で何が間違っていたかを明確に指摘できないまま、ここまで来てしまった。デージーカッターとかいうふざけた名前の大量殺戮爆弾を昨日までほしいままに炸裂させておいて、さて今日は復興のための国際会議だというそのあまりの身勝手さに異を唱えることもしない。
 過去にノーベル平和賞を受けた人たちの間にも、アメリカの姿勢を是とする者が半数近くいることをテレビで知って愕然とした。そんなとき、求められてオルテガ『大衆の反逆』(寺田和夫訳、中公クラシックス)の解説を書いた。約七十年以上も前に書かれたオルテガの警鐘が時代遅れどころか、今こそまさに傾聴すべき見解であることに驚いた。世界平和のためには何が必要か、という気の遠くなるような難問に誠実に答えようとする前に、まずもって直接行動に走るこの大衆化社会の覇者アメリカには、言葉の真の意味でのモラルが欠落している。オルテガも言うように真の問題は、政治にかぎらず今世界のあらゆる領域・場面で幅を利かせ始めたこの「大衆人たち」のアモラル(無道徳)な心性なのだ。
 それは非道徳や反道徳よりはるかに恐ろしい。なぜならそれは生を内部から蚕食する病だからだ。この病から癒えるためには何が必要か。外から、あるいは上からの道徳性の注入か。絶対にそうではない。まさに生そのものの内部から発する生の理法、すなわち「私は私と私の環境である」というオルテガのメッセージに内在する理法に謙虚に耳を傾けることである。私のすべての環境、なかでも人的環境とも言うべき「他者」を理解し愛し慈しむことによってしか真の平和はやってこない。なぜならオルテガが先の言葉にすぐ続けているように「もしこの環境を救わなければ私の救いもない」からである。

  己れの生命を犠牲にしてまで守るべき主義主張あるいは信念があってもいい。しかしそのために他人の生命を犠牲にしてまで守るべき主義主張や信念などあっていいはずがない」。これが現代と同じく狂信と戦乱の世であった十六世紀ヨーロッパを考え続けてきた私自身のたどりついた一つの信念である。

    (「京都フォーラム」アンケートへの答、2001年)

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