佐々木孝 評論集

セルバンテス『ドン・キホーテ』

 いままで本欄に登場した何冊かの“古典”の例にもれず、セルバンテス(一五四七~一六一六)の『ドン・キホーテ』も名のみ有名、というより子供向けに、そのハイライトだけを適当に料理された虚像のみが伝わって、全体を通して味読されることのほとんどない“古典”の筆頭だろう。
 毎年のように装いを新たに出版される「世界文学全集」に『ドン・キホーテ』が抜け落ちることはまずないが、ひが目かも知れないが、しかたなく入れられているといった感じがしないでもない。全国津々浦々の図書館あるいは家庭の、大小高低とりまぜた書架に眠るドン・キホーテの「愁い顔」が思いやられる。
 外科医の子に生まれたセルバンテスは、従僕となったりしたが、貧乏とは縁が切れず、とりわけレパントの海戦で胸と左手に傷を受けてのちは、あらゆる世間的栄達から見放された。その彼が『奇想驚くべき郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』前篇を、ふとした機会から出版できたのは一六〇五年、彼が五八歳のときである。
 結果は思いもよらぬ好評で、しきりに版を重ねた。これにいちばんびっくりしたのはセルバンテス自身だったかも知れない。版は重ねたが、今日の出版事情とは異なり、芥川賞受賞氏のように一夜のうちに大金がころがりこんできたわけではない。あいもかわらぬ貧 乏暮しが続く。
しかし、評判だけはたいしたもので、スぺインのみならず、数年もたたないうちにイギ リスやフランスでも翻訳され、一六一四年にはアベリャネーダという匿名作家の偽書『エル・キホーテ』までが出る始末。これに発奮してかセルバンテスは、一六一五年、つまり彼の死の前年、前扁とほぼ同量の、七四章から成る後篇を書き上げて出版した。
 前篇ではとってつけたような墓碑銘でドン・キホーテの死を曖昧に片づけていたのに、 今回は偽書の出没を警戒してか、ドン・キホーテの死の頓末を描き、「ドン・キホーテはひとり余のために生まれ、予は彼のために生まれた」と駄目押しをしている。

 以後、偽ドン・キホーテは現れなかったが、作者がその死を念入りに確認したためでも あるまいが、本物の方もしだいに読まれなくなった。滑稽だが冗舌な小説として片づけら れてしまったし、なによりもその滑稽さが時代の流れについていけなくなってしまったの である。
 再評価あるいは再発見は、必要以上に自国の知的後進性に敏感な国(たとえば日本)の 轍を踏んで、外国(この場合はドイツ・ロマン主義)からの評価によるものであった。二百余年にわたる仮死ののちの蘇生である。
 ところで、再発見以後のスぺインにおける『ドン・キホーテ』評価もしくは解釈はどうなっているであろうか。ごく大離把に分けて三つあると思う。
(1) たとえば、メネンデス・ぺラーヨ(一八五六~一九一二)やロドリゲス・マリン(一八五五~一九四三)のように、文献学的あるいは書誌学的厳密さをもって原典を注釈し解釈するが、基本的には伝統主義的かつ生粋主義的な(スぺイン文学の純血性をほこる)態度、これを広義のセルバンティスタと名づけることができる。
(2) ウナムーノ(一八六四~一九三六)に典型的に昆られるように、原作者セルバンテスはどうでもよく、むしろ作中人物たるドン・キホーテをスぺイン民族あるいはスぺイン精神の具現者とみなす行き方。アンへル・ガ二ベット(一八六五~一八九八)やマエストゥ(一八七四~一九三六)などは、ときにウナムーノとは逆の表現(つまり「われわれはドン・キホーテであってはならない」)をとることはあるが、一応ここに分類することができよう。これをキホティスタ(ドン・キホーテ主義者)と呼ぶ。基本的にはイデオロギー的もしくは神秘主義的態度である。
(3)まるで一昔前の聖書学者のようなセルバンティスタとも、また、神秘家然としたキホティスタとも異なり、原作者セルバンテスと作品『ドン・キホーテ』の内的・劇的関係を一六、一七世紀スぺインという具体的背景のもとに考察しようとする態度。
 
 「私にとって真のキホティズムとは、セルバンテスのそれであって、ドン・キホーテのそれではない。……伝記的な、そして博学をひけらかした逸脱をさけるためにも、私はセルバンテス主義よりもキホーテ主義という名前をとりたい」(ともに『ドン・キホーテに関する思索』からの引用)と言ったオルテガ(一八八三~一九五五)はここに入る。つまりセルバンテス的キホティスタとでも呼ぶべき態度である。
 「セルバンテス!一冊の本を書いた忍耐強い郷士たるセルバンテスは、三世紀前から、仙境に腰をおろして、周囲にさびしげな視線をなげかけながら、いつか自分を理解してくれるような孫の生まれてくるのを待っているのだ!」とオルテガが書いたのは一九一四年である。
しかし、彼には、セルバンテスが生きた当時のスぺインを、じっくり調べてみるだけの時間的余裕がなかった。
 そのオルテガの素志を継ぐのは、歴史学者アメリコ・カストロ(一八八五~一九七二)である。特に一九二五年に発表された彼の『セルバンテスの思想』は、『ドン・キホーテ』解釈史の一大分岐点となり、従来の解釈のコぺルニクス的転回であると言っても過言ではないだろう。
 ここで彼の所論をくわしく紹介する余裕はない。あえて要約してしまえば、セルバンテスの時代が、伝統主義者たちの言うような意味で黄金時代であったのではなく、実に紛争の時代、旧キリスト教徒と新キリスト教徒(ユダヤ教あるいは回教からの改宗者)とのあいだの隠然たる闘争の時代であったという主張である。
 そして黄金世紀の代表的知識人、たとえばインディオの人権擁護のためにセプルべダなどと激しく渡り合ったラス・カサス神父(一四七四~一五六六)、スぺイン神秘主義の華とも言うべき聖女テレーサ・デ・へスース(一五一五~一五八二)、そしてスぺイン人文主義の雄フライ・ルイス・デ・レオン(一五二八~一五九一)などが改宗者の血を引いていたばかりか、実はセルバンテスその人も、新キリスト教徒の系譜に連なるのだという大胆な主張である。
 セルバンテスの好敵手、というより、当時は彼に洟もひっかけなかった文壇の大御所ローぺ・デ・べーガ(一五六二~一六三五)がすっぽりと体制内に安住し、そのスポークスマンであったのとは対照的に、彼らはおおむね、理想と現実との大きな落差に苦しまなければならなかった。
 このカストロ説がもし真実であるとするなら、オルテガが目指して果たせなかった「『ドン・キホーテ』の最奥の秘密に入り込む」(前掲書)ための一つの有力な手がかりが与えられることになる。

 つまり、ドン・キホーテがなぜあれほどまでに自己のアイデンティティを希求して苦悩したのか、その秘密の一端が啓示されるからである。
現代フランスの女流批評家マルト・ロベールは、その著『古きものと新しきもの』の中で、『ドン・キホーテ』とカフカの『城』をめぐって興趣つきない比較を試みているが、プラハのユダヤ人家庭に生まれたカフカの、その『城』の主人公Kと同じく、新キリスト教徒セルバンテスのドン・キホーテは、多数派たる旧キリスト教徒によって打ち立てられたあらゆる休制の中での異邦人であり、つねに自己の位置を確かめ測量しなければならなかった。
 とすると、「拙者は自分が何者であるかを承知している」というドン・キホーテの言葉を「何者でありたいかを承知している」と読み替えて、それをドン・キホーテ哲学の根幹に据えたウナムーノの説が、歴史研究という地道な踏査を経て学問的に裏づけられたということになろう。
 ともあれ、現代のわれわれ自身、「自分が何者であるかを承知している」とはけっして言えない以上、ドン・キホーテの遍歴は、またわれわれ自身の遍歴でもありうる。


(「月刊エコノミスト」、一九七七年二月号)

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