佐々木孝 評論集

【相馬行―埴谷雄高氏と共に】を最初から見る(自動でタイトルまで移動します。)

相馬行
―埴谷雄高氏と共に

※以下のものは、古い日記に挟まっていた半紙二枚の旅(1966年夏)の記録である。

●七月二十三日(土)
 何かをしなければならない、どこかに行かなければならない、というのは、いつも何かしら、その直前になると、それを投げ出したくなるような気持ちに僕をさそう。埴谷氏と一緒に相馬に行くということは、氏を尊敬する僕にとって一種戦慄をともなう期待事であったが、やはりいざ決行となると何か面倒なことに思われる。どこにも出かけず、誰とも約束事を持たず、自分の穴の中でのんびりころがっていたいという本能のようなものが、僕の中に巣食っているらしい。
 この日も目覚めと共に、そのような気分が強かったが、自分を鞭打つようにして起き出した。六時二十分のミサ。ミサ後の感謝の祈りもそこそこに、昨夜T神父から借りた黒カバンを片手にヴィラを出る。まだ靄が消えやらぬ朝の河口湖。七時十分の河口湖行きのバスに乗り遅れまいと道を急ぐ。
 この夏は、僕にとって普段と変わる計画がいろいろとあり、その計画のベルトの上に乗るには乗ったが、平常のルティーンの中で無理のない生活を送っている修友たちに後ろめたさと同時に、逆に羨望さえ感じるのはどうしたことか。
 七時五十分発の大月行きの汽車に乗り、途中大槻で乗り換え、新宿に着いたのは十一時五分。その足ですぐ祐天寺のM氏宅を訪ねる。あいにくM氏は仕事のため不在。初対面の伸三君の意外にあっさりした態度にいささか面食らう。長女のWちゃんも相馬に行きたがっていたが、マヤちゃんがなかなかうんと言わず、ついに泣き出してしまった。しかしマヤちゃん、それで気が晴れたのか、Wちゃんの相馬行きに賛成。しかし今度はWちゃんの方が迷い出し、結局行かないことになった。昼食をご馳走になり、M氏宅を出たのは、かれこれ一時近く。吉祥寺に向かう。

埴谷氏はすでに準備を整えて待機中。奥様も行きたそうなご様子。冷たいジュースを飲んだ後、総勢四人で出発。埴谷氏の普段とは違った嬉しそうなご様子に、初め懸念したような旅の気苦労は、この先もないことを知り、僕の方も何か楽しい気分につつまれ始めた。
 上野駅に着いたのは発車時刻の四時二十分をあと三十分後にひかえた時刻だったが、すでに長蛇の列。やはり夏は旅行客が多い。ホームに入ってきた列車に気もそぞろに乗り込んだが、マヤちゃんの分しか座席を確保することができなかった。夕暮が迫っている町や村や野を汽車は進んで行く。いろいろな感慨にとらえられ、いつとはなくやはり旅の楽しさが身をつつみはじめる。水戸あたりまで立ち通しだったが、水戸を過ぎるころからチラホラ席も空くようになり、そのうち残っていた僕たち三人も席にありつくことができた。埴谷さんが上野駅で買ってくださった弁当を食べる。氏のやさしい父親然とした新しい側面を見て、さらに親しみ深い氏の姿が心に焼きつけられる。
 道中、いろいろ埴谷さんとお話しようと願っていたが、いざとなると何を話していいのか見当がつかず、かえって埴谷さんの方からいろいろな話をしてくださる。僕たちの乗った急行は、名ばかりで、鈍行なみにたくさんの停車駅をかかえていた。埴谷さんの故郷である小高にも、この急行は止まった。磐城太田を過ぎてしばらくすると、右側に懐かしい無線塔の灯が夜空に浮かんできた。いよいよ原町である。ホームに入って行った時、誰か迎えに来ていないかと外を見てみたが、すぐ祖父母の姿を見つけることができた。改札口に近づいた時、祖父母の他に母、二人の姪も来ていることを知った。埴谷さん、伸三君、マヤちゃんを簡単に紹介した後、タクシーをつかまえようと思っていたが、祭の客のため、どれもこれも皆客が乗っており、仕方なく、埴谷さんと僕だけ歩いていくことにした。久しぶりの街中を埴谷さんと二人、傘をさして行く。祭だというのに案外寂しい様子だ。野馬追いも時代と共に、昔僕たちの街を支配していたようなあの熱狂はなくなってきたようである。
 十時少し過ぎ、幸、恵と一緒にちょっと教会に挨拶に行ってくる。E神父が意外に老いて見えるのには驚いた。K子さんがいた。

  ●七月二十四日(日)
 六時半頃起き出し、近くを散歩しながら黙想。墓地のあたりを久しぶりの故郷を感じながら歩く。八時近く家に戻って、伸三君とマヤちゃんを起こし、ひとりだけ先に食事をする。
 教会は相変わらず信者が少ない。ふと将来自分がここに戻ってきて、布教のために働きたい、などと思ってしまう。Kさんが休まれたので、代わって僕が書簡を読む。
 武者行列が始まるので急いで家に帰る。埴谷さんも食事をすませておられ、達雄兄とお話し中。それから弁当を持ってT商店のガソリンスタンド前で行列を見物。今年は例年より馬の数が少ない。多く見積もっても四百頭はいないだろう。親戚のKさんHさんも馬上の武士になっていた。埴谷さんも興味深げに見ておられたが、また写真もたくさん撮られたようである。
 十一時ごろから野馬原に向かう。入場券一人二百円。ずいぶん高い。埴谷さんがみんなの分買ってくださる。
 二時ごろ、すべての行事が終ったので、それから小高に直接行こうとしたが、混雑のため、一度家に帰って汗を流してから、改めて出発することにした。
 四時五分のバスで、また五人(母を加えて)小高に向かう。
 般若家代々の墓の面倒をみておられるTさん宅へ豊記大叔父が車で運んでくれる。
 マルロオの『王道』を思わせる墓地。まこと安息の地にふさわしい幽玄な墓地。埴谷さんもしばし感慨深げだった。
 夕方、島尾の親戚である井戸川さんの所に行く。夕食をご馳走になり、その後みんなで小高川の川べりに行き、火祭を見る。九時近くのバスで埴谷さん、母、私だけで原町に帰る。伸三君たちは一晩井戸川さんに泊まることになった。
 家に着いてから寝る前のひと時、埴谷さんといろいろな話、特にこの日の体験について話し合う。

●七月二十五日
 七時にミサがあるので、六時ごろ起きようとしたが、母は夕べ晩かったのだからもう少し寝ろときかない。それで黙想は三十分だけ床の上で座ってした。昨日に劣らず、今日も天気の素晴らしく良い日である。
九時ごろ、埴谷さん、近くの公園にでも行こうとおっしゃったが、母の提案で北泉の浜に行こうということになった。はじめ母を入れて三人と、二人の姪が行くはずだったが、母よりも達雄兄が行った方が良いということになり、十一時少し前、タクシーで出発。

(※記録は唐突にここで途切れているが、この夜、近くの喫茶店で、土地の同人誌『海岸線』の人たちと埴谷さんを囲む会をやったはず)。

当ページはInternetExplorer5.5以上でご覧下さい。スタイルシート(CSS)を利用しているため他のブラウザでは綺麗に表示されない場合もあります

作品集一覧に戻る