佐々木孝 評論集

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奄美に島尾敏雄を尋ねて

※以下に写す日記は、1966年(昭和41年)の夏、島尾家の友人メッドさんの二人の息子、クリスティとマイクを連れて名瀬の島尾宅にお世話になったときの記録である。文中[ ]にはさまれ部分は、現時点で説明が必要かなと思われた部分への補注である(03/1/23記)。

●八月六日
 昨朝七時、ようやく名瀬に着いた。定刻である。タクシーで島尾宅に向かう途中の名瀬市街は思ったより都会的である。
 フランシスコ会のL代理院長の勧めもあって、やはり滞在中は島尾宅に寄寓することに決めた。夏期学校が八月下旬であるという以上、名目の第一はすでにないのであるから、名目の第二、文学研究に最適の環境を作る方が得策だからだ。
 だが、昨日はあわただしく過ぎ去り、今日は二日目だというのに、勉強にとりかかることができたのは、午後、それも夕方近くなってからだ。[図書館]二階の敏雄さんの書庫から本を借り出して読み始めた。
 今度の勉強の第一は、島尾敏雄を中心に戦後文学に一通り触れてみることであり、時間があればオルテガの翻訳と卒論の目安を立てることそれである。
 それと、「奄美紀行」の原体験となるべきものを積み重ねることである。

●八月十日
『崩壊感覚』野間宏 近代生活社 昭和31年
「そしてその赤い暗い色がかすかに…」
赤という言葉が5行の中に11もある。

『島尾敏雄論』 星加輝光
昭和13、14年に、ドストエフスキイについて二つの論文を発表している。
第二の論文では、彼の前の論文の裏づけとして、オルテガの「呼吸の長さ」すなわち「定義せず、惑乱を起させる術、性格の不断の激変、時間的空間的凝縮」というのを援用して。

「肉体と機関」   櫛風淋雨
『島にて…』
 「そこのところが私を刺激し、かりに《アマミ・コンプレックス》と名づけてもいい奄美の混沌をどうしても自分の小説の根とからみ合わせてみなければならないし、またそうしたいと思っている」(p.66)

●八月十二日(金)
午後少し雨がぱらつく。午前中はずっと勉強する。特に島尾敏雄論の主なものを読了する。
 午後四時ごろ、O神父のお姉さんとおばさんが訪ねて来る。O神父はまだこちちらで会っていない。

●八月十四日(日)
午前六時半起床になってしまった。日曜日だけはサイレンが六時半に鳴るらしい。八時まで教会で黙想をしてくる。九時のミサ与ろうと思ったが、夜七時半に家の人が与るので、その時一緒に与ろうと思う。
誠一郎叔父[北海道に住む島尾敏雄の従兄・バッパさんの弟]の文集(千秋叔母の追悼文)を読む。とても良い。
午後、昼寝の後、吉本隆明の埴谷論を読む。
引用
 『死霊』の登場人物
  三輪与志……虚体に憑かれた人物
  首 猛夫……理性的幽霊を弾劾する行動家
  黒川健吉……未来からの眼を持った人物
これらの人物は何れも先験的弁証論の領域を越えようともがく埴谷の思想を負っている。
…埴谷が、純粋理性批判からうけとった戦慄は、自然的なものは純粋理性の果てしない行使によって説きえず、また、解きえない課題が存在するがゆえに、理性の行使によって、その課題にむかわざるをえないという二律背反にほかならなかった。
 『死霊』の根本的モチーフは、現実から切断された認識の世界に、人間を行とどうさせ、対立させることによって生の意味を現実から認識の世界に転倒させ、そこから逆にながめた現実の世界の意味をあきらかにしようとする企図の中にある。
    ↑意味が皆目分からぬ。[と書いているが、今ならじゅうぶんに分かる文章なのだが。それにしてもこれは吉本の何という埴谷論からの引用なのだろう]

●八月十五日 聖母被昇天の大祝日
午後、敏雄さんの神戸時代の新聞、雑誌のスクラップを読みあさる。かなり鼻息の荒い新人作家に見える時期もあったらしい。
Viking[神戸時代の同人誌]などは謄写刷りだったらしい。僕などは『あけぼの』その他の立派な雑誌に場所を与えられているのに、実力のないため何も書けないでいる。

先日、母から「美保おばさんの手伝いもするように」と書いてきたが、今日、午前中だけほんの申し訳みたいに畑仕事を手伝っただけで、午後は子供たちの相手や図書館での勉強にあててしまった。うしろめたい気持ちもするが、これでいいんだという気もしている。伸三君が熊本に帰ってからは、つとめて家の内外の仕事を手伝おうと思っている。

●八月十六日
安岡さんの『軍歌』なかなか良い。
ファンタジーではなくヴイジョンの法則によってなされる…奥野健男

うそ偽りなく、ありのまま自己を描くことを目的としてきた従来の私小説と、自己を探検し告白する、自己の内部世界を表現する文学とは、どういう関係になるか。

●八月十八日
昨日、夕食の時、美保おばさんとちょっと意見の対立をみた。客人である僕が言うべきでないことを言ってしまったのだ。つまり、マイクたちがあまりに大人たちに密着していること、それによってみんなが振り回され、疲れているのではないかということ。実際、余計な差し出口をしたものだ。今になって後悔している。
 それ以来、おばさんが変に他人他人した態度をとるようになった。大失敗。実は僕も、暗に他人を非難するような態度をこの数日続けてきたわけだが、まったく身勝手な態度であったもんだ。

●八月十九日(金)
敏雄さんが帰っていらっしゃる[※確か所用で本土に飛行機で数日出張していたのではないか]。夜、夫婦して食堂でいろいろお話し合いをやっておられるのが聞こえてきた。
[※以下、伊東静雄の「なかぞらのいづこより」全文が写されているが省略]

●八月二十一日
六時半と九時の両方のミサに与った。O神父が立てた。午前中は、そのためあっという間に過ぎてしまったが、遅い食事の後、図書館の敏雄さんの部屋[館長室のことか?]で、小高根二郎の『伊東静雄』を拾い読みする。また埴谷雄高の『虚空』も読む。
今十一時半近く、もちろん夜の。敏雄さんと私の寝室に美保おばとマヤちゃんが来て話しこんでいる。僕が敏雄さんだったら、なかなかに我慢が必要なところだろう。
明日の午後、O神父さんと天使園に見学に行く約束をした。

Gratia autem Dei sum id quod sum,et gratia eius in me vacua non fuit.
[※どこから引用したラテン語か不明。私がこうして在ることは神の恵みであり、私にあって神の恵は空しくはなかった、ほどの意味であろうか]

●八月二十二日
『星への旅』吉村昭を読む。奇妙な雰囲気を持った作品である。
「私自身より私を生んだ条件自体にかたよった関心を持っている私」
                        『虚空』p.108
「それはそれ自身に憩って、それ以上にも以下にも動かないような美しい形」
  ペロニーテ
  オマーテ
  マール       [※何を言っているのかまったく不明]
「その時貴方は、たとえ根元から倒れても虚空につきたつ以外にない私の自覚を吟味してくれなければなりません」p.117

“La teoria e il capitano e la practica sono i soldati”.
Leonardo (※ダヴィンチの言葉? 理論は大将で実践は兵士だ、との意味だろうか)

Ortega I,p.214   [※これがどの本を指しているか不明。スペイン語版のオルテガ全集第1巻のことか、J.マリアスのオルテガ論1のどちらかと思ったが、どちらにも該当箇所見当たらず。]
Valetudinario 病弱の[※たんに分からない単語を辞書で調べたものか、それともこの言葉に何かを感じたのかは不明]
Toda perfeccion estetica es perfeccionamiento de si mismo,Katharsis. P.240. 
[※意味は、あらゆる美的完全性はおのれ自身の完成、すなわちカタルシスである]

Con estos ingredientes se obtiene simplemente lo que suele llamarse erudicion,cosa tan ajena a la ciencia como,segun el doctor Lutero,lo era al credo al arte de cantar.
[これらの構成要素をもってふつう博学と呼ばれているものが容易に獲得されるのだが、しかしこれは、ルテロ博士の言うように、歌唱法の信条(クレド)にとってと同じく、学問にとって無縁のものなのである]
!Patria,patria! !Divino nombre,que cada cual aplica a su manera! Por la manana,cuando nos levantamos,repasamos brevemente la serie de ocupaciones mas elevado en que vamos a emplear el dia. Pues ien,para mi eso es patria:lo que por la manana pensamos que hacer por la tarde. (p.244)
 [祖国、祖国!これは各自がおのれの様式に当てはめる神聖な名称である。朝方、われわれは起き出すと高揚した気分の中で、まずその日に予定している一連の業務をざっと復唱する。つまり私にとってそれこそが祖国なのだ。つまり朝方、その日の午後にしようと思っていることが。]
  [※どこからの引用なのか。なぜこんな文章に心を留めたのか不明]

●八月二十三日(火)
あと何十時間で、つまり明朝の九時、いよいよ奄美を去る。いろいろ期待をかけた旅だったが、その実質はどのようなものであったか。何か中途半端なものに思えてしかたがない。夏期学校もなし、戦後文学の研究といっても、拾い読みの程度で、何らまとまった実をあげることはできなかったようだ。しかし敏雄さんの側で一ヶ月過ごせたことは、何と言っても最大の収穫であったことには違いがない。いろいろ考えるヒントも与えられたし、これからの私の著作活動に刺激となるものを感じ取ったように思う。
奄美の自然に触れる機会は思っていたより少なかったが、それでもその印象は強烈であった。
 人間関係のむつかしさは、どこに行っても同じだ。特に子供たちの圧倒的なエネルギーには、ほとほと手を焼いた[※アメリカ人のクリスティとマイクのことらしい]。かきまわされてしまった。いろいろこの家の仕事を手伝ってやるべきだったが、そちらの方に気持ちが向くこともないうちに日にちが経ってしまった。

  霊的生活は、これまたたいへんお粗末であったが、文学と召命の道との和合を私なりに模索した。結論は、進むことだ。面白いことに、誠一郎叔父の小さな文章から励ましを受けた。この広い宇宙に男一匹、何のくよくよすることがある。僕の全存在の責任を問われるのは、神の前にひとり立つときとであって、その他の何物にも僕は動揺してはならないのだ。そして小賢しい人間の約束事、しきたりに卑屈になることなく、胸をはって広い視野の中に、自らを立たせなければならない。現在という時点を大切にすることを疎かに出来ないが、しかし永遠というものとの対立の中にすべてを眺める視点を自らの中に確保しなければなるまい。へんぺんたる時評のたぐいは腐るのが早い。
  だが、例えば現代の日本文学という場に身を置いた以上、それらを蔑視することは自らの立場を切り崩すことになる。外国文学者の片手間の仕事として、日本文学を扱いたくない。あくまで現実に深く根ざしたコクのある文体を形作りたい。問題は深さだと思う。掘り起こし掘り起こし、物事の表面にとらわれずその裏を読み取ることだ。現実透視の批評でなければならない。
  夕方、シベリウスの交響曲第五番ホ長調、作品82を敏雄さんと一緒に聞く。子供たちは美保おばさん、マヤちゃんと買物に出かけている。何か忘れていることはないか、借りたりもらいたいものはないか。『非超現実主義的…』をもらいたいが、[東京の神学院の]図書館にもあることだから貰うのはよそう。『幼年記』はどうか。あるいは『島尾敏雄論』の合本はどうか。[※島尾氏は各種島尾論を集めて自製の合本を作ってた]
  夕食後、教会に行って告解をしてこようと思っている。
今「第五」が終わり、今度はフィンランドの国民文学的叙事詩『カレワラ』に取材した交響的幻想詩「ポホヨラの娘」作品49を聞いている。とても素晴らしい。

[※ここで記録は終わっている。帰りの船では船酔いが激しく、二人の同伴者クリスティとマイクが悪戯して海に落っこってもいいや、と思うほど最悪の船旅だった]

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