佐々木孝 評論集

スペイン神秘主義探訪の旅

  いつか正面きってスぺイン神秘主義とぶつからなくてはと思いつつも、なにやかやと雑用が重なり、というより性来のなまけくせが災いして、一日延ばしにのばしてきた。それがこの夏、いろいろな条件が重なってスぺインに行くことになった。六年ぶりのスぺインである。聖テレジアの著作も、十字架の聖ヨハネの著作もまともに読まず、ましてや研究書のたぐいもただ研究室の棚をうめるだけの状態で内心忸怩たるものがあったが、何はともあれ神秘主義の生まれた土地を見ることから始めようと、重い腰をあげることにした。ついでにと言ってはなんだが、この際女房と二人の子供も連れて行くことにした。浮世の重いしがらみを引きつれての神秘主義探訪、と話はいささか滑稽さを通り越して或る悲壮感さえ漂わせはじめるが、言い出した以上後には引けない。それにいまの私には、この形がいかにも似つかわしいと思えたからである。
 つまり神秘主義に対する私の興味は、どう考えても神学的でもなければ、広義の学問的関心でもなさそうだからだ。それでは何か、と問われれば返事に窮するが、あえて言えばきわめて人間的、主体的な関心とでも言えようか。つまり生き方の問題としての興味である。この十数年間、曲がりなりにもスぺイン思想とつき合ってきての私の結論に、スペイン思想の骨格はその個人主義と神秘主義であり、それら二つはスぺイン的生の思想に収斂するというのがあるが、その神秘主義がどうにも分かりにくい、というより、青年期のある時点から勝手に判断停止をきめこんで棚上げにしてきた問題が、神秘主義と深くかかわっているということだろう。ところで判断停止のころの私ならいざ知らず、いまの私は女房と二人の子供と共にあくせく生きている私である。ならばこのしがらみを引きつれてカルメル山の、せめて麓をさまよってくるのも一興ではなかろうか。
 かくして、サラマンカ大学でスぺイン語研修をする学生・社会人のグループとセビーリャで別れて、一家四人の旅は始まった。フォード・フィエスタというにぎやかな名前の黄色い車を借りて、まずは『プラテーロと私』の町モゲール、コロンブスの船出したパロスの港、ふたたびセビーリャを回ってアラルコン『三角帽子』の町アルコス・デ・ラ・フロンテーラ。十字架の聖ヨハネのゆかりの地ウべダ、バエサ、べアス・デ・セグーラ、ついでにアルバセテを通ってドン・キホーテの舞台カンポ・デ・クリプターナ、グアダラハラ近郊イリエパルのカルメル会修道院、パストラーナの修道院、ソリアを通って聖イグナチオや聖フランシスコ・ザビエルの故郷パンプローナ、ハビエル城、ロヨラ、そしてシスター・ガライサバルのいるセストーナ、シスター・ネゲルエラの働いておられるサンタンデール、ヒホンを通ってラ・コルーニャのカルメル会修道院、サンティアーゴ・デ・コンポステーラ、聖テレジアの町アビラ、十字架の聖ヨハネの生誕の他フォンティべロス、その遺体のあるセゴビア……そして最後にサラマンカ。走行距離約四千五目キロ。
 この旅行で体験したすべてのことについていまだ頭の整理はできていないが、荒涼たる岩山、酷暑に耐えるオリーブやひまわりの畑、地中海とはガラリと興の異なるカンタブリアの海辺を走った肉体は、スぺインの大地の感覚をしっかり刻みこんだようだ。いやそれにもまして各地で出会った人たちの温かさ、寛大さ、親切は忘れようにも忘れることができない。茫漠たる高原の中のイリエパル・カルメル会修道院のシスターたち、まるで肉親を迎えるように歓迎してくださったセストーナの人たち、別れの朝、それまで関節炎で寝ていたシスターまでが起き出して全員で歌をうたってくださったラ・コルーニャのシスターたち……いま想い出しても胸が熱くなる。
 この九月、第二一期卒業の高原三枝さんが山口のカルメル会修道院に入る。ラ・コルーニャから私たち一家の帰り旅を見守ってくれた高さ五Oセンチほどの聖ヨゼフの御像が、今度は彼女を無事山口まで送りとどけてくれるであろう。


      (「おとずれ」、昭和五五年十一月十日号)

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