佐々木孝 評論集

もっと活気を!!!

 先日、西文学会主催のスピーチ・コンテストなるものに初めて出席してみた。お恥かしいことだが、そして自分でも信じられないことだが、これが初めてなのだ。別に軽く見ていたわけでも敬遠していたわけでもない。その度に何やかやの雑事が重なって、今まで一度も出席できなかったのである。教師としてまことに申し訳ないと反省している。
 さて、先日のスピーチ・コンテストは、例年になく聴衆が多く、準備期間が短かったにもかかわらず、意欲と活気があった由。これが最初の私には、その評が当っているかどうかは分らないが、いろんな意味で感心した。教場ではあまり感じられない活気をそこに感じた。スピーチの出来不出来は、私にとって、二の次(参加者には失礼だが)で、まがりなりにも、学年とかクラスを越えて、西文科の学生が、そして他大学の学生が一堂に会していることに、大袈裟ではなく感激したのである。西文科の未来とその可能性に対する一条の光を見た、と言っても過言ではない。それは何か、私自身の中でもいまだ判然としないが、書きながら何とかそれを言葉にしてみよう。

 1 学年やクラスの別を越えて、もっと出会いの場を持つべきである。
 第一おかしいし、つまらないではないか、こんな小さな大学で学年やクラスにこだわっているのは。出会いの場は、たとえばスピーチ・コンテストとか、各種の研究会、サークルと言うような、アカデミックなものでもいい。そのための環境づくりは、学会を中心に展開すればいい。他にも遠足とかコンパとか、スポーツとか、楽しいことをもっと企画していいのではないか。学会の研究室はそう言った企画やはかりごとが生み出される苗床の機能を持つことが望ましい。具体的には、時間帯を決めて、その時間にはお茶を飲んだりレコードを聴いたり、歌ったり、ダベったりできる場所にしてはどうか。

 2 もっと他大学のスペイン語科との交流を。
 先日のスピーチ・コンテストには、拓殖大学と神奈川大学の学生も参加した。これは素晴らしいことだと思う。他にも上智とか外大とか、スペイン語科のある大学がいくつか存在する。スピーチ・コンテストや語劇祭の時以外にも、もっと交流し、たがいに良い刺激を受けるべきではなかろうか。
 それに、これは私が男性だからだろうか、女子学生の中に男子学生が混じると、とたんにホッとし、嬉しくなる。援軍来たる!と思うわけでもないが、学生諸君にとっても、時には男子学生と交流することは、いろんな意味でプラスではなかろうか。私は女子大学の意義をそれなりに認めてはいるが、しかし時おりの交流は絶対に必要ではないかと考えている。

 3 一人一人が常に百%その人であること。
先日のコンテストで感激したことの一つに、神奈川大から参加した一人の男子学生のスピーチのおそろしくまずいこと、それにもかかわらず、悪びれず堂々と参加していたことがある。私は真の学問は決して頭脳の問題ではないと信じている。もっと全人間的なものであると考えている。学生諸君には常日頃言っていることだが、一人ひとり自信を持つことが必要だ。この自信は、才能とか美貌とか家柄から来る自信ではない。私は私以外の何ものでもない、ということから来る自信である。われわれがスペイン文化なり文学から得る貴重なメッセージの一つもそれではなかろうか(別にこれが特にスペイン的であるというつもりはない。しかし現代の日本人にとかく欠けている重要な資質である)。マダリアーガによれば、スペイン人の特性の一つに「エントラ・デ・ジェーノ・アジ・ドンデ・エントラ」(Entra de lleno alli donde entra)というのがある。その意味するところは、何事をするにも、またいずこにあっても、常に一〇〇パーセントその人である、と言うことであろう。つまり他との比較において、自分が成り立つのではないということである。スペイン語科にもこの気風がみなぎって欲しい。自分を出し惜しみするな。笑う時は心から笑い、泣く時は心かう泣き、怒る時は心から怒ってほしい。語学的才能に少々欠けるところがあっても、決して自分に対する自信を失うな。西文科は、各自が自由に明るく自己を表現し、たがいに相手の良いところを認め合い、そうして素直なしかもたくましい個性が育つ場であるべきではなかろうか。学問の創造性も、そのような場にしか育たないはずである。

        (一九七九年「フェンテ」XI号)

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