佐々木孝 評論集

「大学祭とは何か」に答えて

 大学祭は祭である以上、祭でなければならぬ。祭とは何か、それは週日に対する週末であり、労働に対する休息であり、実の空間に対する虚の空間である。あるいは日常の世界にとつじょ現出する非日常の世界である。しかしけっして勤勉に対しての怠惰であってはならぬ。つまり祭の中に流れる時間は、間のびした日常の時間であってはならぬ。そこには日常の時間とは異質の、しかもはるかに活性化された時間が流れていなければならない。 簡単に言えば、ひとが祭に近づき、祭の中に踏み込むとき、ある名状しがたい期待に胸がときめくようでなければならない。それは祭を組織する側から言えば、そうした期待に応えるべく相当の工夫をこらさなければならぬということになる。しかもそれは祭の最初の段階のことであって、祭が進行してからは祭に参加する者すべてが主催者だ。舞台(虚の空間)に上がった俳優であり、主役・脇役に関係なく各自のパートを受け持たなければならない。
 私は大学祭すべからくアカデミックであれ、とは思わない。夏休み明けの小学校の教室に見られるような、お座なりの展示物……いやそれはちと言いすぎだ。問題は、そうした展示物(それ相当の活動の成果)が祭に溶けこめず浮き足立って見えることだ。そして一方には、こうした真面目派に比べて数においてはるかに優るタベモノ屋さんたちがいる。二つは水と油のように露骨に分離している。
 両者をともにつつみこむような祭の空間をつくり出すにはどうしたらよいか。お客さんも大切だが、何よりも先ず自分たちが活性化されなければならぬ。局外者をも巻きこむような渦をつくり出す必要がある。それぞれの準備で忙しいだろうが、たとえば全学的な規模の前夜祭で最気をつけるなんていうのはどうだろう。テレビ番組の真似事でない自分たちの出し物(クラス単位の出場など)で腹をよじって笑いころげるなんてのはどうだろう。

         「清泉祭プログラム」  一九七八年十一月十二日

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