佐々木孝 評論集

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高く飛翔する精神の遍歴

 ■ 二人の神秘思想家
 ドイツの著名なスペイン文学者カール・フォスラーは、スペイン的リアリズムに関して、「スペイン人はちょうど子供がそうであるように、天と地を同じ画布に描きたがる」と言っている。つまり子供の絵には、人間や動物や建物ばかりでなく、かならず「御日様」が描かれるが、それと同じくスペイン人の描く(書く)ものには、たんに此岸のものだけでなく彼岸のものまでがごく自然に、当然のこととして描かれる傾向があるということである。映画好きの人なら、ここでマルセリーノ坊やとキリストの友情という奇跡譚を素利な筆致で描いた『汚れなき悪戯』を思い起こすかも知れない。
 要するにこれは、彼岸と此岸が地続きである、あるいは超越的なものが地上と垂直に交わるということで、こうしたスペイン的リアリズム(この場合アイデアリズムと言っても同じことだが)の極北に立つのが、黄金世紀に澎湃として起こったスペイン神秘主義(思想)である。ここで神秘主義とは何かを詳細に論じるスペースはないので、ひとまずそれを「内的直観によって神を直接に体験し、これと交感しようとするもの」と定義しておこう。こうした傾向はもちろんスペインだけのものではなく、古くからキリスト教の中に存在したものだが、しかし十六世紀スペインの神秘主義以上に裾野の広さと頂の高さを誇るものはけだし異例であろう。
 その頂点に立つのは、いわずと知れた聖テレサ・デ・へスース(一五一五―八二)と聖フワン・デ・ラ・クルス(一五四二―九一)である。黄金世紀のスペインは、セルバンテスやロぺ・デ・べーガ、カルデロンといった綺羅星を夜空に散りばめたが、それらにけっしてひけをとらない、いやその射程距離においてはるかに凌駕する光芒を放っているのがこれら神秘思想家たちなのだ。そしてこの場合重要なのは、彼らがたんなる神秘体験家にとどまらず、同時に表現者でもあったということである。とりわけ聖テレサは、近代スペイン散文のなかば完成者であると言われている。それはこの頃までにスぺイン語(カスティーリャ語)がそうした表現を可能にするだけの素地を作っていたということでもあるが、それ以上にこれら神秘思想家たちの魂の飛翔の表現媒体となることによって、それまで考えられなかったような高さと深さと広がりを獲得したということである。


■神秘主義誕生の二つの要因
 さてところで、このような神秘主義のうねりが、なぜ十六世紀中葉のスぺインに起こったのであろうか。たとえば、トマス・ア・ケンピス(十五世紀ドイツの聖職者)の『キリストに倣いて』に見られるように、それまでのドグマチックな、あるいは教会中心の信仰形態がいわゆる新しい信心に、すなわちキリストの人間性や信徒の人間的・情緒的側面を重視するものに変化してきたこと、その意味で信徒一人一人が教会の位階制を介することなく、いわば垂直に神に接しようとする素地ができていたことを思い起こしてもいい。しかしそれはスペイン以外の国々にも当てはまる共通の推移であって、それだけではスペイン神秘主義の起こりの説明にはならない。
 ここで宗教的・神学的理由づけはひとまず置いて、少々大胆かも知れないが、次の二つの要因を考えてみたい。
一つは、新大陸発見という驚天動地の事件が当時のスペイン人に与えた心理的衝迫である。もちろんコロンブスがアメリカを発見したのは一四九二年であるが、これが人々の心にズシリと実際的な効果を及ぼすには五〇年は優にかかる。十六世紀中葉のスペイン人にとって、新大陸は遠くて、しかも近い現実となった。つまりそれは彼岸と地続きに思えるほどはるかな世界でありながら、親しい者たちがそこで汗水たらして生きている身近な世界でもあったということである。たとえば聖テレサの男の兄弟のほとんどは新大陸に渡っている。聖女にとってこのことは、地平線が無限に広がっていくような目くるめく現実であったに違いない。コペル二クスが『天球の回転について』で地動説を主張したのは一五四二年。もちろん聖女はそんな天文学上の新説によってではなく、感覚的・直感的に、自分が広大無辺の宇宙空間に漂い出すのを感じたはずだ。
 もう一つの要因は、当時のスペイン人にとって、自分が何者であるかといういわゆるアイデンティティの問題が、ある場合には強迫観念となるまでの大きな気がかりであったということである。
 たしかに、十五世紀末のユダヤ人追放にはじまって、それまで平和裡に共存していた三つの宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)のうち、キリスト教のみが国家体制に組みこまれ、他はすべて禁止され駆逐された。かくして多数の改宗者(新キリスト教徒)が生まれたが、しかし彼らには根こぎにされたおのが存在を新しい体制の中でより確かなものにするという課題が背負わされた。
 事実、聖テレサの父方の家系にはユダヤ人の血が流れており、その身元碓認をめぐって異端審問所と係争した一家の歴史は、聖女にとってけっして遠い過去の出来事ではなかったはずだ。ルイス・ビーべス(人文学者、一四九二―一五四0)など他のユダヤ系知識人の場合と同じく、聖女はこれについて不自然なまでに沈黙を守っているが、そのことが逆にこの問題の大きさをうかがわせる。


■神秘家たちの遍歴
  ともあれ、以上二つの要因だけで、スぺイン神秘主義の起こりをすべて説明することはできない。しかしそれらが神秘主義の突出する時代背景、あるいは精神的基盤を理解するための重要な手がかりであることはまちがいない。
 ドン・キホーテが、見果てぬ夢と、とてつもない偉業を求めて遍歴の旅に上ったように、スペインの神秘家たちもまた、果てしなき天界を目指して、そしておのが存在の究極の根基を求めて遍歴を重ねたのである。聖テレサの生地アビラの御託身修道院前庭にある聖女の立像には、やみがたい焦慮につき動かされてカスティーリャの野を疾駆しているような聖女の姿が刻まれている。聖テレサは徒歩の、修道服をまとったドン・キホーテなのだ。

講談社世界の国シリーズ
     「スペイン・ポルトガル」一九八三年

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