佐々木孝 評論集

【ドン・キホーテとスペイン精神】を最初から見る(自動でタイトルまで移動します。)

ドン・キホーテとスペイン精神

 先年の春スぺインを旅行したとき、パルマ・デ・マヨルカのとある公園で、人の良さそうな数人の不良青年たち(というべきか)と親しくなり、彼らのすすめるパンとチーズを食べながら、いっとき話し合ったことがある。そのとき何がきっかけだったかは覚えていないが、そのうちの一人が、「ドン・キホーテはスぺインでは死んでしまった」とつぶやくように語ったのが印象的であった。つまりドン・キホーテがスぺイン人にとってやはり偉大な存在だということを改めて納得させられたのである。もちろんその青年のことばはスぺイン人の心からドン・キホーテの理想が消えたというほどの意味であったろう。が、しかし、その死を強烈に意識しているということは、二―チェの「神は死んだ」ということばの意味するものにも似て、逆にドン・キホーテの存在の巨大さを浮彫りにしていると思われたのである。
 この名作『才知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者セルバンテスの心づもりは、当時一世を風靡していた荒唐無稽な騎士道物語を一掃するためのパロディを作りあげることにあったが、しかし作者の意に反してといおうか、あるいは作者の意図をはるかに越えてといおうか、この作品が世界文学の中でも第一等の地位を占めるに至ったのは、ほかでもなく主人公ドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの性格がみごとに造型されているからである。
 だが、この作品が真の意味で傑作となりえたのは、作者セルバンテス個人の才能、創造力(あるいは想像力)のみに拠ると考えるのはまちがいであろう。というのは、これは独り『ドン・キホーテ』の場合ばかりでなく、世に名作と呼ばれるもの、人類の共有財産・世襲財産目録に載るほどのものならずべてそうであるように、実は作者一個人の才能のみの産物ではけっしてないからである。作者が生きた時代の精神、作者の血脈を流れる民族の魂が、作者という一個の才能を通して吐き出されるところに傑作が誕生するのだ。いささか乱暴な物言いをすれば、『ドン・キホーテ』はセルバンテスが書いたのではなく、スぺインが、スぺインの民衆(プエブロ)が書いたのである。

事実、スぺインのあらゆる生の様式は民衆のもの(ポプラール)である、といっても過言ではなかろう。スペイン、スぺイン文化、スぺイン人がわれわれ外国人にとって一つの大きな魅力となりうるのは、その飾り気のない人間性、階級や教養の差異を越えた全一的な人間性、すなわち民衆性のゆえであろうと思われる。日焼けすると、下層民が貴族の下から顔をのぞかせる」のである。
 このような性格、特徴をもったスぺイン人が自分たちの生きざま、世界と人間にかかわ る諸理念のレパートリーを抽象的なものに求めず、むしろ「肉と骨を備えた」具体的な人間、われわれの中に「生き、動き、存在する」ものに求めるというのも当然のことに思われる。それが無意識のまどろみの中から意識の表面に浮かび上がってくるのは、たとえば国の危急、国民の精神的混迷のときである。その顕著な例として、われわれは「九八年の危機」を挙げることができよう。すなわち、一八九八年の米西戦争敗北を契機として起こったスぺイン人の精神的混乱、失意、またそれゆえの再生への激しい熱望の時期のことである。現代スぺイン最大の思想家・作家ミゲル・デ・ウナムーノ(一八六四―一九三六)はそのとき「死せ、ドン・キホーテ!」という文章を著し、その中で次のように語った。
 「スぺイン、この騎士的、歴史的スぺインは、ドン・キホーテのように、永遠の郷士アロンソ・エル・ブエノ(善人アロンソ)のうちに再生しなければならない。……その英雄が狂気から癒えて死んでいったように、打ちのめされ、たたきのめされたスぺイン――国であって民族ではない――もまた、癒やされなければならない。」ここでウナムーノは、とてつもない理想を追って遍歴の旅にのぼり、数々の不運にうちのめされて故郷に帰ってきたドン・キホーテと、自国を顧みずに世界に雄飛しながら、こと志に反して次々と挫折を余儀なくされ、ついに政治的にも経済的にも、さらに悪いことには精神的にも縮小を余儀なくされたスぺインの姿とを重ね合わせている。
その時にはウナムーノは明確に意識していなかったが、のちに、すなわち一九〇五年に発表した彼の主著『ドン・キホーテとサンチョの生涯』で述べているように、彼が本当に言いたかったことは、むしろ逆のこと、すなわち歴史的偉業を追い求めるドン・キホーテは死すべきであるが、しかし永遠の偉業を企てる永遠の遍歴の騎士、進歩と物質的緊栄よりも、むしろ人格の不滅を希求する狂気の騎士ドン・キホーテこそは、生き残らねばならぬということだった。
 ところでスぺインにとって、一九一六年から一九三九年にかけてのスぺイン内戦は、先の一八九八年の敗北とは比較にならぬほどの大規模な危機であり不幸であった。ドン・キホーテは、かつての混迷の中で、スぺイン国民の精神的一致と再生の指標たりえたが、しかしスぺイン国民が真っ二つに分かれて血を流し合ったこの内戦においては、どうであったろうか。
 ウナムーノより一世代あとに登場した哲学者オルテガ・イ・ガセット(一八八三―一九五五)は処女作『ドン・キホーテをめぐる思索』(一九一四)の中で、「自分たちの過去の思想的貧困、現在のさもしさ、そして未来へのにがにがしい敵意によっで過敏になったスぺイン人が数人集るとき、彼らの中にドン・キホーテが降ってきて、そのおろかな容貌から出る溶解力のある熟が、彼らの散らされた心をひとつにし、霊の糸で縫い合わせ、彼らの個人的苦悩を越えて民族共有の苦悩を提示するのだ」と書いた。しかしオルテガは、内戦が勃発するやいなやいちはやく国外に脱出して、アルゼンチン、ポルトガルなどで亡命生活を送り、帰国したのはようやく一九四五年になってからである。マラニョン、ぺレス・デ・アヤラなどとともに「共和制擁護のための集団」を結成し、一九三一年の共和国建設のために多大の貢献をしたかつての彼を考えるとき、少々意外な感じがしないでもない。しかし、精神の貴族たらんとした彼にとって、無定形で無意味ともいえる民衆(彼にとっては大衆だったかもしれない)のエネルギーは、ついに無縁のものであったというのが真相であろう。私には、内戦がスぺインにとって大きな不幸であったのは、民衆の中から、民衆とともに思索する思想家に恵まれなかったところにあると思われてならない。スぺイン民衆の魂、ドン・キホーテの魂をすくい上げる思想家がいなかったのである。
 事実オルテガにしても、彼につづく思想家、文学者にしても、内戦によって露出したスぺインの苦悩、またそれゆえの再生への希望、をドン・キホーテの姿に重ね合わせては語っていない。それを語ることができないほどの深手を負ったからなのか、それともドン・キホーテの理想が現代ではもはや通用しない時代遅れのものなのか。
 今となっては、それこそ詮ない望み、ないものねだりではあるが、内戦勃発の年に二人の偉大なドン・キホーテ主義者、ラミロ・デ・マエストゥ(一八七四~一九三六)とウナムーノが殺され、あるいは苦悶しつつ世を去ったことが惜しまれる。前者はスぺイン・ファシズムの理論家というレッテルを貼られてはいるが、しかしかつて(『ドン・キホーテ、ドン・フワン、ラ・セレスティーナ』、一九二六)ドン・キホーテについての美しい思索を展開した人である。この二人が祖国の危機について、「憂い顔の騎士」に向かっていかに語りかけたか、それをあえて夢想するとき、スぺインについてのわれわれの希望もまたふくらみ始める。


『文化誌 世界の国、スぺイン・ポルトガル』
            講談社、昭和四十九年

当ページはInternetExplorer5.5以上でご覧下さい。スタイルシート(CSS)を利用しているため他のブラウザでは綺麗に表示されない場合もあります

作品集一覧に戻る