富士貞房作品集

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A・M・D・G

 「何なの、そのA・M・D・Gというのは?」 
 「イエズス会の標語というのかモットーというのか、アド・マヨーレム・デイ・グロ−リアム、つまり神のより大いなる栄光のために、という意味なんだが、とりあえずいま頭に浮かんだから表題にしたまで」 
 「僕はまたペレス・デ・アヤラの反イエズス会小説のことかと思った」 
 「知ってるんじゃない。意地が悪いな君も」 
 「で、君はまだそういうことにこだわっているわけ?」 
 「いや、すっかり忘れていた(本当にそうか?)。しかし最近、いやでも思い出さざるをえない状況ができてしまってね。というのは、息子がとつぜんこの春イエズス会に入ってしまったんだよ」 
 「親父の密かなる夢を孝行息子が引き継ぐということか」 
 「とんでもない。正確に言うと、親父が途中投げ出した道を何も知らぬ息子がたどり直すということ」 
 「いいのかいそんなこと書いて。イエズス会士や息子さんが見たらまずいんじゃないの」
 「だいじょうぶと思うよ。親父の書いたものにはほとんど関心を示さない子だから(それにしては目立つ題名をつけちゃったな)」 
 「いずれにせよ奇特なことだね、親父さんの歩いた跡をたどろうなんていうのは」 
 「実を言うとぼく自身がこの事態にまだ戸惑っているんだ。息子は父親に対してあからさまに反抗することはあまりなかったけど、しかし潜在的には絶えず反発してきたと思う。それが、他の可能性があったにもかかわらず、親父の出た大学、それも同じ学科を選び、そのあげくのこの決断。しかし事はそう複雑ではなく、反発しながらも親父のたどった道以外のことが思いつかなかった幼さかな」 
 「そんなこと言いながらも、うまく誘導したんじゃないの? だいいち、彼の幼児洗礼の際にイグナチオという名前を選んだことからして怪しいな」 
 「しかし何のために? こういう事態になるとは、正直、思ってもみなかったし、望んでもいなかった。去年の春、父親の職業とは何の関係もない出版社に就職したことは君も知っているだろ?」 
 「それはそうだが、でも結局はイエズス会に入ってしまった。父親と同じ職業に就くなんてことより、何というのかな、もっと内面に食い込んだ部分での選択」 
 「そうね、父親のいちばん敏感で恥ずかしい部分でのね」 
 「さきほど父親に対する反発うんぬんの話が出たから言うんだけど、もし息子さんが反発しながらもなんとか父親を越えたい、もっと露骨に言えば親父をぎゃふんと言わせたいと思っていたとしたら、イエズス会に入ったことで、ほぼ確実にその目論見は達成できそうだね、つまり五年間という君の記録を破れば」 
 「彼がそこまで陰険だとは考えられないし、そこまで親父のことを意識していたとも思えないな。ともかくいろんな点で幼いところがあって、今回のことも世間というものにうまく適応することができないとか、指導を受けていた神父さんの影響とか、そういった単純な要素がいくつか重なり合った結果だと思うけど」 
 「そこが君の欠点。物事を実に簡単に考えてしまう」 
 「そうかも知れないね、彼なりにいろんな葛藤があったとは思うがね。ともかく今回のことで嬉しいことが一つあるとすれば、それは息子にいっとき明るさが戻ってきたこと、少し自信ができてきたらしいってことかな。昔は明るい子だったんだけど、高校受験のころからともかく思い出せる限りの彼は、いつも鬱々として、何かに絶えず苛立っていた」
 (それは私自身の性格を見事に引き継いだからだ。あれは私が中学生のころだったか、黒い板塀が両側から迫る細い露地裏、前方に日傘をさした母親が歩いていく。後頭部をじりじり照りつける真夏の太陽。何に怒っていたのか、道端の石をひろって母親の後ろ姿目がけて投げつけた。幸い石は的(?)をはずれて、乾いた音を立ててころがっていった。
 また別のとき、側にあった火箸を茶扶台に思いきり突き立てたこともある。もしもあのとき、火箸がうまく突きささらずに、先端がすべって側にいた母親を襲っていたら、と後年何度恐怖と共に思い出したことか。 
 《パパ、これ見て!》妻の呼ぶ声がする。行ってみると、足で蹴り上げたのか、げんこつでぶち抜いたのか、白い洋箪笥に開けられた黒い穴。どれほどの暗い怒りが彼の内面に燃え盛っていたのか。 

 また別のとき(そのとき息子は会社勤めのために下宿生活を始めて間もなくだったが)ガラス、文字盤ともにめちゃめちゃに壊された腕時計が引き出しの奥から出てきた。父親からもらったばかりの腕時計である。錐状のものを思いきり突き立てないかぎりできそうもない破壊跡。凝縮した怒り。因果は回る)。 
 「……何か思い出しているのかい?」 
 「失礼、ちょっと考えごとしていたもんだから」 
 「もちろん、君が何を考えていたかは一字一句分かるけどね」 
 「……」 
 「ところで君自身は、かつて会を出たこと、スペイン語風に言えば、修道服を壁に掛けたこと、についてはどう意味づけているんだい?」 
 「自分自身でもその理由をきちんと整理したことがない、というか、それについてはずっと判断停止のまま二十五年間生きてきたことになる」 
 「ずいぶんといいかげんな話だな。ずばり聞こう、なぜ修道院を出たんだい?」 
 「簡単に言えば、信仰が薄かったからじゃないの?」 
 「いや、そう開き直られても話が続かないよ」 
 「開き直っているんでも謙遜して言っているんでもない。正直言って問題はそこに行き着くと思うよ」 
  (朝の黙想は、まるで砂漠に敷設された電話線を介して空しく繰り返される交信のようなもの。ブーンという音しか聞こえない。眠気と戦いながら索漠たる思いのうちに終了時を迎える日々の連続。しかしあれは何だったのか、夜の聖堂で、翌朝のミサの準備をしているときに思いがけなく訪れた至福の突風は? 祭壇脇の聖体ランプの赤い光。あのたった一度の確かな手応え、あの高揚感。あのときあのまま突き進めば、開かれたかも知れない聖性への道。そしてその道を進むことへの恐れ。鉄の規律の修道会創立者イグナチオではなく、神秘家イグナチオをしきりに探そうとした日々)。 

 信仰がないのにこのまま修練を続けるのは苦痛だ、という息子からの手紙の文面を思い返している。確かに辛いだろうな。しかし信仰がある、とはどういうことなのか。信じたいという願いがすなわち信仰ではないのか。車窓の外を流れる景色に焦点の合わない目を向けた。やはり西国の日没は遅いのだろうか、午後の七時を過ぎたというのに、あたりにはまだかなりの明るさが残っている。

 電車が鉄橋の上にさしかかったところである。鈍色の川面から立ち上る水蒸気が、一日の最後の光の中で不思議な色合いを見せている。都合三つの鉄橋を渡った。こんなに川が多い町だったのか。三○年前の記憶はすっかり剥落していて、まったく新しい町に来たのと変わらない。何回か町の中央に出ることもあったはずなのに、吊り革にぶらさがった記憶がない。あの当時はバスを使ったのだろうか。 
 典型的な地方都市の夕暮れの情景。車窓から入ってくる湿った空気が、車中の人慍れをかきまわすが、すぐまとわりつくような熱気となって身体を包み込んでくる。電車の中には、一日の勤めを終わって家路を急ぐサラリーマン、学校帰りの生徒たちでいっぱいだ。目の前に座っている二人の女子高生はチョゴリ姿。そういえば修練院の裏手には朝鮮人の集落があったはずだか、今はどうなっているのか。 
 中央駅から出る支線の三つ目の駅に降り立った。途中で夕飯は食べていくから、と連絡していたので、腹はすかないが食べないわけにはいかない。ごたごたした小さな駅前の、開店したばかりらしく店先に花環を飾った焼肉店に入った。真新しいメニューを見てみたが、どういう料理なのか皆目見当がつかない。定食を頼んだ。目の前のものをただ機械的に口に入れた感じだが、ともかく食べ終えた。 
 慣れない手つきで料理を運んでいるウェイトレスに道を聞こうと思ったが、新たに入ってきた家族連れらしい客の方に行ってしまった。ともかく店を出ることにした。すぐ前にあった八百屋の店先で道を聞き、だいたいの見当をつけて歩き出す。小さな橋を渡って (今日何本目の橋だろう?)しばらく行くと、その道はずっと高台の方に向かっているらしい。いずれ坂道を登っていくにしても、どうもこの道ではなさそうだ。周囲の闇の中に明々と電気を灯している米屋の店先でまた道を聞く。「カトリックの修道院?ちょっと聞いたことがないけど…」。それでも親切に店先まで出てきて、思案顔の主婦。犬の散歩の途中の中学生らしい男の子が通りかかったので聞いてみた。それならこの道を少し戻って左手に折れ、川に沿ってしばらく行き、二つ目の橋のところからまた左手に登っていったところだと思う、と言う。あたりはすでに暗闇の中に沈んでいて、さしあたってはその子の言葉を信じるしかない。 

 土手下の道を歩いていく。土手の上は家路を急ぐ車が時おり猛スピードで通り過ぎて行く。一つ目の橋に来た。いや、それは橋ではなく、水道橋である。闇の中にうっすらと浮かんだ空色の水道橋を見ているうちに、記憶のしっぽがわずか顔を覗かせたような気がした。これは確かに見たことがある。そして石の橋が見えてきた。ようやく記憶と目の前の光景が重なった。ここを左に折れ、すこし行けば修練院への入口にぶつかるはず。 
 しかし何たることか。かつては人家など一軒もなかったところに今はびっしり家が立て込んでいる。以前竹薮だった場所には現代風のマンションが立ち、玄関側(裏側)には等間隔に電灯が寂しそうに灯っている。一瞬、もはやそこには修道院がなく、どこかに移転したのでは、と思った。その後住所表記が変わったのは、建物自体が移転したからではないのか。しかしなおも登っていくと、三○年前と寸分違わない第三修練院の洋館と、左前方に修練院の古びた日本家屋が見えてきた。つき当たりの食堂だったところの窓から、夕食後の団欒といった感じの明るい室内が見え、四、五人のシャツ姿の男たちが野球か何かのテレビ観戦のようだ。ブラザーたちかな、と思ったが、それにしては生活臭がいっぱいでどうも様子が変だ(日本家屋の方の修築のために大工さんたちが泊まりこんでいたらしい)。 
 以前修練院だった建物のベルを鳴らしてみたが、だれも出てくるふうでない。そのとき後方の第三修練院のドアが開いて、小柄な人影が近づいてくる。夜目にもにこやかな笑顔が見える。そうだ、M修道士だ。道々、かつての修練院は黙想の家になり、新人神父たちの第三修練院が今では修練院に使われているなどと教えられる。彼に導かれて、まず今夜の宿となる二階の部屋に案内された。荷物を置いてから、階下のレクリエーション・ルームに案内された。談話中の七、八人の顔がいっせいに振り向いた。三○年前とほとんど変わらない温和な顔をしたB神父、もう一人見知らぬ外人神父。そしてS修練長にC院長。もう一人の日本人ブラザー、そして修練二年目の二人の修練士。ひとしきり思い出話に花が咲く。 

 食事の後片付けをしていたのか、M修道士に連れられて、今年入った二人の修練士が入ってきた。うちの一人が息子である。少し痩せたようだが、予想していたより穏やかな顔がそこにあった。修練長が回してくれたお茶菓子を食べ、ジュースを飲んだあと、彼のはからいで、玄関横の応接室で息子と二人だけで話すことができた。近くで見ると、確かに以前より痩せてはいるが、野外での作業のためか日焼けして元気そうだ。 
 
 会見(?)は一時間は続いたろうか。消灯の時間の九時半が近づいたので、また明朝話し合うことにして別れた。息子は三階に、私は二階に。修道院はひっそりと静まり返り、廊下や階段の終夜灯があたりをぼんやり照らし出しているだけだ。忍び足で廊下を歩き、静かに部屋に入った。東京から電話で連絡したとき、部屋は用意できるから、と言われたが、まさか修道院の中に泊めてもらえるとは思わなかった。かつて同じ修道会にいた者に対する特別のはからいなのだろうか。こちらの建物の個室には、三○年前、隠居生活をしていた白髪のドイツ人神父に用を頼まれて二、三度入っただけである。 
 煙草を吸っていると、小さなノックの音が聞こえ、息子がバスタオルを持って入ってきた。シャワーを使いたいなら使える、と言う。疲れが取れるだろうな、とは思ったが、しかし廊下の端のシャワー室まで行くのが億劫で結局遠慮することにした。明朝は何時に起きるのか、と聞くと、五時半だと言う。それなら六時半ごろに起こすように、七時のミサにあずかりたいから、と頼んだ。父親が来たのを喜んでくれたのだろうか。昔から感情をあまり表に出さないのは変わっていない。しかしどことなく嬉しそうな様子が見て取れてほっとする。 
 
 空調機の音が気になってか、あるいは長旅の疲れのためか、なかなか寝つかれない。その日の朝、息子からの手紙を見て、妻はこの際ぜひ息子に会ってきてほしい、と言う。数日前に受け取った手紙より、やや落ち着いた感じのものだったが、しかしあいまいな終わり方が変に気になる手紙であった。急いで旅支度をして家を出た。

 いつかは再訪したいと思っていたその西国の町に、このようにとつぜん来ることなど思ってもみなかった。だから肉体的な疲れというより三○年ぶりの過去との出会いに疲れていたのかも知れない。下方のマンションあたりから来る光が木々を通して窓に反射している。いちおうカーテンを引いてはいるが、薄手の生地らしく、外の明かりが室内にまで届いている。寝つかれぬまま、息子との今夜の会見のことを考えている。迷いはふっ切れたのだろうか。 
 
 「これどういうこと? すっかりぼくの方は無視か。慣れない情景描写に頭をひねって、辞書を引いたり額に皴など寄せたり、ぼくの方は見向きもしないんだからな。で、どうなの、今書いた文章の内容はフィクションなの?」 
 「フィクションじゃないよ。実際、数日前、その西国の町を三○年ぶりに訪ねたときのことを書いたのさ。でもそう聞かれると、ちょっと怪しくなってきた。いや、実際に切符を買って電車に乗って、息子にも会ってきたはずなんだが…」 
 「ごまかすなよ。俺たちの会話と先ほどの文章がうまく繋がらないんだろ。現実と虚構とか小説の解体などという高級な問題にすり替えるなよ」 
 「分かっている。正直言うと、今回の再訪があまりに唐突で、心に備えがないままに実行されてしまったので、自分でも収拾がつかないのさ。いつかは自分なりに説明をつけたいと思っていた過去に不意打ちを食らったというわけ」 
 「君が大事な問題の解決を延ばし延ばししてきたことはぼくも承知しているけど、でも時間は限られてるよ」 
 「それこそ分かってる。事態がこう推移してくれば、もう猶予期間は終わりだな」 
 「それで今回の旅行の成果はあったのかい? つまり息子さんは修練を続けることにしたのかい?」 
 「それがどうも分からないんだ。手紙の内容から急を要すると判断して、あわてて駆けつけたんだけど、思っていたよりずっと落ち着いていたし、まあまあ元気だったし。だから、もしかして親に会いたいために深刻なことを書いてきたんじゃないか、などと疑いたくもなる。だとしたら、とんだ親馬鹿旅行をしたことになる。ただちょっと気になることがある」 
 「何だい、それは?」 
 「いや、たいしたことじゃないけど。前に“親を乗り越える”ということについて話したよね。実は旅行から帰ってきて、息子の残していった本やノートのたぐいを整理していたら、彼が中二の時に使った『中学生活と進路』という題の教科書が出てきたんだ。ワークブック形式のもので、最後のページにクラス担任のこんな短いコメントが書かれていた。“親を越えるのは大変だ。でも毎日みている親だ。どこか弱い点があるものだ。そこから突っ込んでみるのもいいよ”。つまり彼が鬱々としはじめた中二のころから、すでに父親との関係に悩んでいたのか、と初めて知ったわけ」 
 「君は小さい時に父親を亡くしたから、父親という鬱陶しい存在に苦しだ経験がない。だから息子の気持ちが分からなかった」 
 「そう、彼が修道院に入った動機の一つは、やっぱり父親を乗り越えることだったのかも知れない。こんなちっぽけな山なんて、一気に乗り越えてほしいんだがな」 
 (翌朝、彼が玄関先で見送ってくれた時の顔が目の前にちらついて離れない。彼は何かを訴えたかったのではないか。なのに今回も彼の話をじっくり聞く余裕がなく、一方的に話したという印象が強い。彼の本当の気持ちはどうだったのだろう。ともかく入ってから二月ちょっとで結論を出すのは早すぎる、せめて秋の三○日間の大黙想が終わるまで、あるいは何かが見えてくるまで、もうひと踏ん張りがんばってみろ、という親父の説得に屈しただけなら、彼には現状打開の道は相変わらず閉ざされたままだ。だれの強制でもなく、自らの意思で入ったはずなのに。いや、たとえそうでなかったにしても、つまり無意識の中の自縄自縛による決断だったにしても、それならなおのこと、親父の五年間を更新する以外に息子の自己恢復の道は開かれない。 
 確かにあの小さなコムニタスの中で、彼の人付き合いの不器用さが表に出たら、人間関係がぎくしゃくして苦しくなるだろう。昔は、第三修練の若い神父たちが十数人、修練を終えて人文学を勉強中のユニオーレスが五、六人、二年目の修練士が七、八人、そして一年目の修練士も七人、他にもブラザーが四、五人もいたから、人間関係に広がりがあり、休みの日にはサッカー試合も立派にできたのに。しかしそんなことは言っておられない。人間関係を修復するつもりで、そこをなんとか乗り切ってほしい。 


 帰宅してから二日後、彼に手紙を書いた。私の残りの人生、君のことをもっと親身になって考え、君の方を向いて生きていきたい、こちらはこれから先、衰えるだけで君を引っ張っていく力はなくなるだろうが、君が自力で走り出したら、ママと二人で君の伴走をしたい、そんな内容の手紙だ。しかし途中二度ほど、今から考えるなら言わずもがなの言葉を書いてしまった。「そんなことは鬱陶しいと考えるなら話は別ですが」、「君に負担になるだけだというのならこれ以上言いませんが」という言葉である。あの修練院の玄関で見送ってくれた彼の姿を信じるなら、そんな中途半端な態度では新しい局面は生まれないのではないか。 
 考えてみれば、いつも双子の片割れである娘との比較の中でしか彼を見てこなかったのではなかろうか。いつのころからか、彼の欠点や性格の弱さを責めるのに急で、彼を本当に分かろうとしたことなどなかったのではなかろうか。いま彼は、愛情をどんなに過剰に傾けても、それでダメージを受けるはずもない距離のところにいる。 
 そうだ、少なくとも親子関係において、心を閉ざしてきたのは、そして修復が必要なのは、むしろ父親の方かも知れない……)。 


「青銅時代」、第三十六号、一九九四年

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